明治時代の印刷物 − 文明開化の頃のデザイン −
◆◆  引札 : 備中高松(びっちゅうたかまつ)  ◆◆ 


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※ 記載文字
 犀角湯 最上丸 敬老丹        
 アンチヘブリン散 山田振茶 セメン園
 備中国高松
 伊丹栄寿軒
※ 参考
 備中の国高松とあるので、高松稲荷(最上稲荷)の付近にあった薬屋である。
 総社付近は、富山県のように売薬業者が多く「備中売薬」と呼ばれていた。
 引札には、七福神から二人、福助、鶴、富士など、縁起ものが多数描かれ、また当時ハイカラだった、汽車も登場している。
※ 『備中売薬』について
 備中売薬は、総社市を中心とする地域での薬の製造と特徴的な販売を総称したいいかたである。その販売の特色は、家庭の常備薬として一定量の薬を預け置き、半年か一年おきに使用した薬を補充、このときに代金も徴収する方法であった。
 この方法は江戸中期より始まり、備中一円から備前・備後・美作と販路を拡大、やがて中国地方だけでなく四国や九州まで活動範囲を広げた。江戸中期の『備中集成志』には備中の諸産物が紹介されており、この中には「振薬」「熊肝丸」「万輪丸」「道三丸」など備中売薬の中でも当時著名であった商品名がいくつかみえる。
 備中売薬の成長は江戸以降も続き、明治後半には、総社市の旧常磐村に属する真壁、中原、溝口では54の業者を数え、備中売薬の中心地として大いに栄えた。昭和初期には、北海道や関東地方にまで販路が広がり、薬店向けの商品は、朝鮮半島や中国大陸まで輸出されている。
 このように隆盛を極めた備中売薬であったが、戦時期になると統制経済の対象となり、転廃業が続出し、現在では備中売薬を知る若い世代も少ない状況になるなど、その衰退は著しい。
*参考文献
 『備中集成志』 石井了節選/片山敬人校訂 (1943)
 『常磐村史』 常磐村史編集会 (1961)
 『岡山県大百科事典 下巻』 山陽新聞社 (1979)
 『総社市史 通史編』 総社市市史編さん委員会 (1998)
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 〔岡山県立図書館〕
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