明治時代の印刷物 − 文明開化の頃のデザイン −
◆◆  その他 : その1  ◆◆ 


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※ 記載文字
 当温泉場は往古より鷺温泉と称し岡山県下美作国勝南
 郡塩垂山の麓に在り岡山市と隔つる路程凡十三里に
 して備前の国和気停車場と北に去ること七里許なり
 西四里有余にして津山市街に通し東六里にして播州
 佐用駅に達す道路平坦にして何れも腕車(ルビ:じんりきしゃ)の往来自由
 なり其位置たる山陽道の中央に属し翠巒渓水の間に
 あると以て気候殊に順和にして夏時納涼は申も更な
 り冬季と雖も積雪の憂なく春秋ともに山水眺望の明
 美あり散鬱詩歌の料に富めり且つ湯浴の効能に至り
 ては世間衆諸の熟知せらるる如く打撲、金瘡、悪性潰瘍
 腺ノ硬結及他ノ頑腫、慢性頑固ノ皮膚病、水腫病、痔、中風
 慢性リヨーマチス等一切に寄効奏験ある海内無比の
 霊湯なり近来浴室と改設新築し弊舎の如きは従来の
 家屋を修繕致し更に西洋館一棟を増築仕り自炊席貸
 等の便法を設け御賄は極めて清潔にし新鮮を撰らひ
 諸事丁寧を廉価を旨とし一層勉励仕り御便利に調度
 仕候間江湖御来浴の諸彦尚を御愛顧旧に倍し陸続御
 投宿あらんことを

 風月楼主人謹白
※ 参考
 チラシの作成年代は不明だが、姫新線の佐用駅までの開通が昭和10(1935)年で、翌年には、東津山まで開通しているので、そのあたりではないかと推定される。ただし、播州佐用駅とあるのが、鉄道である確証はない(和気は、停車場と表現しているため)ので、それ以前の可能性も残る。
 鷺温泉とは、現在の湯郷温泉のこと。今でも別名として使われている。
 湯郷温泉の歴史は古く、今から約1200年前に比叡山の高僧円仁法師が西国巡礼のとき立ち寄り、白鷺が足の傷をいやすのを見て発見したと伝えられている。
 鷺温泉の名称の由来もここにある。
 このチラシには、長期滞在する湯治客に向けて自炊設備があることが記載されている。

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 〔岡山県立図書館〕
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