百間川−橋と河川敷を歩いて−

百間川の風景

※ 海吉橋から600mほど南に行った所より北を眺めた景色

 百間川は、江戸時代初期に岡山城下町を水害から守るため、池田藩の津田永忠(つだながただ)が熊沢蕃山(くまざわばんざん)の構想を基に設計・指揮し、旭川から水路を分岐させて作った総延長約13kmの人工河川です。
 川の名前は、当時の「二の荒手」の幅が堤防を含め百間(約180m)あったことに由来しています。
 その後何度か改修工事が行われましたが、平成時代の大改修に伴い大きく姿を変えました。ここに現在の橋や河川敷の風景を通して、その周辺に住む人々の百間川との関わりと、併せて百間川の歴史・変遷を紹介したいと思います。 
百間川全体の図 


 上流写真 中流写真  下流写真 
上  流  中  流 下  流 

※ 上流・中流・下流は、制作者が便宜上分けたものです。

撮影日: 平成23年5月15日 日曜日
          平成23年6月15日 水曜日(一部)

参考文献:「新版岡山県の歴史散歩」 岡山県高等学校教育研究会社会科部会歴史分科会編 山川出版社
    「マップルリングEX 中国・四国 都市詳細図道路地図」  昭文社 平成15年発行
「岡山県大百科事典 下巻」 山陽新聞社 昭和55年1月3日発行