西大寺鉄道

はじめに
 吉井川の河口近くにある、観音院のはだか祭りで有名な西大寺の町は、高瀬船の集積拠点となり、古くから商業の中心地として栄えた。しかし、陸上交通は発達しておらず、農業のほかにめぼしい産業もなかった。
 明治の終わりごろ西大寺の産業と文化の発展につながる鉄道建設の構想が時の町長山口誠孝〔やまぐちせいこう〕氏や地元の松田与三郎〔まつだよさぶろう〕氏らによって立てられ、明治44(1911)年の西大寺−長岡間を皮切りに最終的には、後楽園までの全長11.5キロの軽便鉄道が開通した。
 その後、地域住民の足として、また、観光路線、さらには、貨物運搬の役割を長年果たしてきたが、長岡(国鉄の駅は、東岡山〈赤穂線の開業の前年、西大寺から東岡山に改称〉)−西大寺間をほぼ平行して走る国鉄赤穂線が、昭和37(1962)年9月1日に開業したことを受け、同年9月8日に52年にわたる長い歴史を閉じた。


(砂川鉄橋を渡る機関車:両備バス提供)
 

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西大寺鉄道の歴史(年表)

明治39(1906)年8月 軽便鉄道会社の創立委員会
明治43(1910)年7月 西大寺観音院で西大寺鉄道(株)の創立総会
明治44(1911)年12月 西大寺 - 長岡間運転開始
明治45(1912)年1月 長岡 − 森下間運転開始
大正4(1916)年9月 森下 − 後楽園間運転開始
昭和6(1931)年7月 ガソリンカー(20人乗り)がはじめて走行
昭和14(1939)年8月 陸式薪瓦斯発生炉装置完成。
地方鉄道で初めて代用燃料の内燃動車を運転。
昭和30(1955)年5月 西大寺鉄道と両備バス(株)が合併。両備バス(株)に
昭和37(1962)年9月 9月1日に国鉄(JR)赤穂線(岡山−相生間)全通。
9月8日、西大寺鉄道閉業式。52年の使命を果たす。

参考文献
 『西大寺鉄道五十二年の歩み』 両備バス株式会社/編 (1962年)
 『両備バス創立77周年記念誌』 第25期青年重役会,両備バス(株)広報室/編 (1987年)
 『西大寺鉄道懐古展資料』 西大寺文化資料館 (2002年)

      制作:岡山県立図書館
      著作権は、岡山県に属します。写真等の無断転用は、ご遠慮ください。
      ※このコンテンツは、岡山県立図書館メディア工房にて両備ホールディングス株式会社と共同で制作しました。
       また、制作にあたっては、西大寺文化資料館のご協力をいただきました。


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