絵馬 武者絵 武士の台頭
リストマーク 奉納 八幡太郎義家の図 
大絵馬
制作年 明治二十九年五月吉祥日
願主 不明
源義家、別名八幡太郎義家 父頼義に従い陸奥の安部頼時討伐に奥州に向かった 。苦戦を続け前後九年に渡って戦った。厨川(くりやかわ)の戦で貞任(さだとう)を滅ぼす。義家は兵法家であり、文学にも優れていた。飛雁により伏兵を知り勿来(なこそ)関の和歌が有名。(飛ぶ鳥は列をみだしたら、その下に伏兵がおると思えという教え)「前九年の戦い」の後、阿部氏に代った清原氏の一族が東北を抑えていた。この清原家衡と後の藤原清衡の戦いを 陸奥の守義家は仲裁に苦戦するが京から駆けつけた弟新羅三郎義光の助けで「後三年の戦い」は終る。その後 将兵の心をつかんだ義家は東北から関東地方に源氏の勢力を定着させた。こうして源氏武士団の指導者として力をつけていく。
リストマーク奉献 朝鮮出兵の図
制作年 明治三十年丁酉年五月吉日
願主 高山幸一郎 池上ミヨ 高山吉平
加藤清正が秀吉より朝鮮出兵の命を受ける
リストマーク 奉献 清正朝鮮出兵の図
制作年  明治弐拾九年第五月吉祥日
願主 不明
錦絵 朝鮮出兵をした加藤清正が日本の富士山を望む
リストマーク 梶原景季 箙(えびら)の梅図
72×100cm
制作年 不明
願主 不明
梶原景季(かげすえ)は戦場に風雅の心を忘れず、矢を収める甲冑の箙に梅の枝を差して戦った。一の谷合戦のとき、梶原景時 景季父子は生田の森で平家方の多勢に囲まれて奮戦したときの様子
リストマーク 奉献 一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)の図
制作年 明治廿七年第五月吉祥日
願主 高山幸一郎 黒田久二郎
一の谷の合戦に先立ち義経は熊谷直実に「一枝(いっし)を切らば一指(いっし)を切るべし」の制札を与える。これを須磨寺の若木の桜の木にたてるように命ずる。桜の花にたとえて、平家の公達の命をたすけよと意をほのめかす。
リストマーク 武者図 
重なっていて中央部分が見えない大絵馬
制作年 不明   
願主 不明
リストマーク 奉○ 弁慶・牛若丸の図
彩色の剥落ちが激しく、図柄文字とも判別し難い 大絵馬
制作年 不明
願主 吉三郎 長七郎 他10名
牛若が五条の橋で通る人を待っていると、鎧に身をかためた弁慶が大長刀を担いでやってきた。被衣(かつぎ)姿の牛若を女と思い通りすぎようとすると、牛若、長刀の柄元を蹴り上げて戦いを挑み激闘の後 弁慶は牛若に降参し互いに名乗りあって、主従の関係を結び九条の邸にお供する。
リストマーク 敦盛最期の図
天井柱や他の絵馬の陰で一部分しか見えないが美しい大絵馬
制作年 不明 
願主 不明
敦盛が平家一門に遅れて馬を海に泳がせたところを、黒扇を振って呼び止めたのが熊谷であった。敦盛を組み伏せて、顔を見れば息子と同じ年頃の可憐な少年ではないか、助けようとしたが味方が見ている。熊谷は泣く泣く敦盛を討つ。後年熊谷直実は出家する。
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