児島湾の漁場環境―河川の恵み

  岡山県水産試験場 場長 尾田正



はじめに
 瀬戸内海は約8,000年前に四国と九州が本州から切り離されて、現在の瀬戸内海の原型が誕生した。約5,000年前の縄文海進の時には現在より海面が約6m高かった。そして海岸線が現在の形に定まったのは近々2500年前という。
 児島湾は、古代、中世においては、「穴の海」「中つ海」と呼ばれ、閉ざされた湾ではなかった。現在の児島半島は「吉備の子州(こじま)」と呼ばれて陸続きではなく、島であった。 河川から運ばれてきた泥砂が堆積し、浅瀬や広大な干潟が形成された場所は、次々と干拓され、1655年頃には「藤戸」が閉じられて、完全な湾となった。
明治になってからは国策としての農地拡大のために児島湾は更に干拓された。そして5,500ヘクタールの干拓地の農業用水を確保するために、全長1,558メートルの締め切り堤防が昭和34年に完成した。これにより本来の児島湾は淡水の「児島湖」と、残された狭隘な「児島水道」ともいうべき現在の児島湾とに隔てられたのである。
 干拓により広大な漁場と豊富な魚介類、そして生活基盤をも失った児島湾の漁業者の歴史は、日本の漁業史に暗い足跡を残して、これからも語り続けられる事であろう。しかし、児島湾は決して過去の遺物ではなく、今も漁業が営々と営まれているのである。県北深い森林から発せられた水が集まって旭川、吉井川の滔々たる大河となり、栄養豊かな水は児島湾に注ぎ込み、太陽の光を受けて植物プランクトンが盛んに光合成を行う、生産性の非常に高い河口域なのである。
 人間の営みにより失われた、過去の豊かな児島湖の漁業を単にノスタルジックな感慨をもってふけるだけではなく、児島湾の漁業を再生するために、私たちは「歴史を教訓とし、未来を切り開く(以史為鑑、開創未来)」重要性を再認識し、何をすべきか、今一度考えてみたい。


瀬戸内海と岡山県海域の自然特性

 児島湾はいうまでもなく瀬戸内海の備讃瀬戸に位置していることから、児島湾の漁業を考える前に、瀬戸内海と岡山県海域の海域特性について生産性の観点から眺めてみたい。
 瀬戸内海は大小約3,000の島からなり、潮の流れが緩い灘と速い瀬戸が存在し、起伏に富んだ海底地形を有している。そのために、紀伊水道、豊後水道から瀬戸内海に流入した外洋水は複雑な潮流や渦流が生じて表層水と底層水が上下混合している。海底に堆積した栄養物は上下混合により有光層で基礎生産者である植物プランクトンに利用される。このようにして瀬戸内海における漁業生産力(漁獲量/面積/年)は世界の閉鎖性海域と比べると非常に高くなっている。また、生物多様性も豊かで、動物は魚類約600種、軟体動物約1000種、甲殻類約400種、環形動物約150種、動物プランクトン約300種、植物では植物プランクトン約200種と海藻約300種が生息している(岡市他、1996)。
 岡山県の海は瀬戸内海の中央部に位置し、東は播磨灘から備讃瀬戸を経て西の備後灘に至っている。大小80の島があり、海域面積は約800k㎡と狭く、水深10m以浅の海域が50%以上、20m以浅の海が約85%を占めている。東西から流入する二つの水塊が接触、混合し、瀬戸と灘が連なる複雑な地形であり、水塊が上下混合することにより高い生産力を有している。また、三大河川が流入しており降雨や陸水流入の影響を受け、塩分や水温の変動幅が大きいが、豊富な栄養塩に恵まれているなど多様で豊かな水産環境が造り出されている。しかし、沿岸域の開発により藻場・干潟は埋め立てられて消失、或いは減少しており、水域によっては水質の富栄養化や汚濁、赤潮の発生もみられる。


岡山県の漁業
 岡山県の海面漁業、養殖業の動向を見ると、漁業生産量は昭和40年代前半まで2万5千トン~3万トン前後で、漁船漁業がその70%以上を占めていた。昭和40年代後半からのカキ及びノリ養殖業の急激な伸展に伴い、昭和50年代中頃以降漁業生産量は4万トン~5万トン前後に増加した。しかし、近年は漁船漁業の不振により、漁業生産量は3万5千トン前後に減少し、その80%を海面養殖業が占めている。
 平成17年の岡山県の漁業経営体数は、1,440経営体で、前年に比べ86減少した。また、年齢区分別にみると60歳以上の階層が50%近くを占めており、慢性的な後継者不足と共に高齢化が着実に進行している。
 漁船漁業の対象種としてはサワラ、マナガツオなどの重要な回遊性魚種もみられるが、イワシ類などの多獲性魚種の漁獲は少なく、沿岸性の魚種が漁獲の中心である。魚種別漁獲量は魚類46%(カレイ類12%、イカナゴ9%、スズキ類3%)、タコ類12%、カイ類12%、エビ類5%、カニ類5%である。昭和40年代と比べると、増加している魚種は、ヒラメ、ウシノシタ類、マダイ、ガザミ、アミ類、ヨシエビである。一時減少したが、増加傾向にあるのはタイラギ、イカ類、タコ類、ナマコであり、減少している魚種はコノシロ、カレイ類、ボラ類、イカナゴ、シャコ、アサリ等である。県下海面は漁場が狭いことから各種漁業が入会って操業し、資源の利用度は高い反面、乱獲による資源減少をもたらしている。
 ノリ養殖生産量は、近年全国の10位で生産量は多く、かつ製品の品質は比較的良い。しかし近年は暖冬化の影響を受け、秋季の張り込み時期の遅れと年明け以降の急激な栄養塩低下による色落ちにより漁期が短くなっている。加えてノリ単価の低迷により経営を悪化させている。カキ養殖の生産量は広島県、宮城県に次いで全国第3位にあり、主漁場である東部海域は汚濁が少なく、プランクトンの発生も多くて、カキの成長が速く、品質は良い。しかし、過密養殖や漁場老化による成長の停滞、輸入カキの増大による単価の低迷、衛生管理の徹底など多くの解決すべき問題がある。その他の養殖、特に魚類養殖は、漁場環境から養殖適地が限られ、ヒラメを除いて多くない。


児島湾の漁業今昔


1)明治から児島湾締め切り堤防完成まで
 沖新田、興除新田の開発後、明治後半からは、藤田伝三郎による干拓事業(藤田干拓)が始まり、明治39年の第1区干拓から昭和38年の第7区干拓の完成により、児島湾の干拓は終了した(図1)。

図1 岡山平野の開発の歴史(「よみがえれ児島湖」(1991)より改編)


 藤田干拓が始まるまでの児島湾には、吉井川、旭川、篠ヶ瀬川、倉敷川から運ばれる泥砂の堆積により、湾内には約5,000ヘクタールの広大な干潟が形成されており、特に湾奥の八浜、妹尾辺りでは泥質の干潟が広がり、潟板に乗って石伏老(ハイガイ)、藻貝(サルボウ)、蟶(アゲマキ、通称チンダイガイ)、ハゼ、シャコ、ウナギを獲っていた(同前、1985)。また、その他速い潮流を利用した樫木網漁等、当時の漁業の詳細についてはパネリストの一人である竹原組合長の「児島湾漁業の変遷」に譲ることとしたい。
児島湾締め切り堤防完成後の児島湾は、藤田干拓とそれを次いだ農林省干拓の合計面積5,500ヘクタールと締め切り堤防で造られた児島湖1,100ヘクタールを除くと、細い水道のような海峡を残すのみとなった。このため干潟漁業の中心であったハイガイ、アゲマキは絶滅し、その他の干潟生物も残された僅かな干潟に生息するのみとなった。また、湾内に常時100統以上設置されていた樫木網漁も昭和26年に完全に消滅してしまった。更に昭和52年から新岡山港の建設が始まり、狭い海域は更に狭くなった(同前、1985)。縮小した児島湾は、潮の干満差が極度に少なくなり、潮の流れも弱まった。また、水質浄化作用を持つ干潟が失われ、高度経済成長下における工場排水や人口集中による生活排水が大量に流入することにより、湾内の環境は悪化していった。
 岡山市百年史によると、ノリ養殖は明治16年に県内で初めて岡山港鳩島西方で篊(ひび)建て養殖を試みられ、岡山県水産試験場において種々の試験研究を行い、普及に努めた。しかし、大正3年、藤田開墾の影響で旭川の河川水が減少するとともに砂泥の堆積などにより、ノリ養殖に大きな被害をもたらした。戦後、女竹を用いて高島付近で養殖が再開された。更に昭和30年頃から水平篊(ひび)が用いられるようになり、湾内のノリ養殖は本格化し、昭和40年代の初めには経営体数は200を超える数となった。しかし、昭和44年新岡山港建設に伴い、高島西方の漁場がなくなり、湾外長須漁場へと進出した。その後、湾内の養殖環境は悪化したために、昭和48年頃からノリ養殖は湾外で行われることとなった。

2)児島湖締め切り以降
 児島湾内での漁業は今どうなっているのであろうか。湾内で操業している古老の漁業者から貴重な話を聞かせてもらった。以下はその内容である。

図2 現在の児島湖・児島湾


 「現在、湾内で操業して生活しているのは、岡山市漁協の20人ぐらいだ。それに津田に2、3人で全部で25人ぐらいだろう。刺し網、延縄が多い。底引きは実際に操業しているのは4、5人だろう。
 刺し網ではママカリ、チヌを対象にしている。ボラ、シュクチは最近ものすごく増えてきた。船に乗っていると飛び上がった大きなボラがぶつかってくることがある。大きいだけあってぶつかれば危険だ。ボラ、シュクチは獲れても安くて話にならない。金にはならない。スズキやセイも多いが、値段が安い。ウナギ、アナジャコは減っている。アナジャコは高島東の干潟北には以前はたくさんいたが、下水処理場ができてからいなくなった。アナジャコは産卵のために冬に浮き上がって群泳しているのを獲る。昔は百間川の樋門でたくさん獲れたが、最近は場所が航路筋辺りだけになった。アナジャコが少なくなったということはウナギの餌も少なくなり、ウナギも少なくなった。
 延縄ではウナギは少なくなったが、アナゴはあまり変わらない。ヨシエビは減ってきている。放流してもチヌやセイがすぐに寄ってきて食べてしまう。昔、6、7区の干拓前には八浜辺りではチンダイガイ(アゲマキ)がたくさんいて、黄色いウナギはそれを食べ、青いウナギはアナジャコを食べていた。チンダイガイは昔は篠ヶ瀬川の30号線の所までいた。チンダイガイがいた頃にはウナギもたくさんいて、終戦後にはウナギ御殿が建ったぐらいだ。干潟に生えた草(陸生)の間にウナギがいて、干いたときには獲りに行ったもんだ。
 河口域ではムラサキイガイの小さいのがすごく増えた。これをチヌが食べる。最近は旭川大橋上の平井辺りにチヌが多い。ムラサキイガイが増えて吉井川永安橋の辺りまでチヌがいるようになった。ナルトビエイがここ2、3年で増えてきていて、刺し網にかかって困る。
 吉井川でシジミが増えている。ハマグリは九蟠漁協が増殖事業を行っている。比沙古岩の砂干潟に生息している。底曳き網(春~秋)の漁獲対象はアナゴ、ヨシエビ、シャコ、スズキ、ハネ、チヌ、カレイ、ゲタ、ガザミだ。ヒラメは昔より増えてきている。昨年、5kgのが獲れて、市場の人間も驚いていた。干潟は、昔は珪藻(?)が付着していて表面が黄色かったが、今はそうなっていない。ガザミはかつてないぐらいに増えてきている。コノシロ、ツナシは多い。漁船漁業で金になるのは、アナゴ、ゲタ、ガザミだ。ハモは少なくなったが、たまに獲れる。児島湖が出来る前には、岡南空港の沖でハモ延縄をやっていてよく獲れた。八浜の方へ行くほどハゼ、ベカが多かった。」
 アオノリについては吉井川河口域で天然産を採取してきたが、採苗技術が開発されてからは吉井川河口域および水門湾で養殖が行われており、良質なものを生産している。
漁業統計から見た児島湾漁業はどうなっているのだろうか。湾内だけの正確な漁獲統計資料がないため、中四国農政局の岡山県漁業統計から湾外での漁獲も含んだ、岡山市の統計資料によると、昭和47年当時と比べると、クロダイ、ガザミは増加しており、アミも一時減少した後、再び増加傾向にある。スズキやボラ、コノシロが減少しているのは、魚価が低落しており、金にならないから獲っていないのかも分からない。


児島湾と岡山県水産試験場
 児島湾はかつて栄えた干潟漁業や樫木網漁は見る影もないが、依然として旭川、吉井川は注ぎ込んでいて、その恩恵は周辺漁場、特に犬島周辺ノリ漁場に及ぼしている重要な海域なのである。ここでは岡山県水産試験場が児島湾で取り組んできた調査研究について紹介する。

1)明治後期

   図3 伏老(ハイガイ)
   (「有明海の生きものたち」(2001)より)

 明治35年漁業法が制定されたのを受けて、岡山県は水産業振興のために岡山県水産試験場を児島郡八浜町(現玉野市八浜町)に設置した。場所の選定にあたっては「・・・県下水産業中直接に最も力を効すべきは鹹淡両種の養殖および遠洋漁業の2者なりとす・・」を基本方針とし、鹹水養殖の適区なること、淡水の供給十分なること等、六項目の選定条件を設定して候補地を探した結果、六箇所の候補地から八浜が選定されたのである。
 このことは、児島湾が海産・淡水産増養殖の適地として優れていたこと、そして将来にわたって県下水産業の中核としての役割を嘱望されていた事を物語っている。
 明治35年の記念すべき岡山県水産試験場業務報告には、伏老(ハイガイ)水煮缶詰試験、鰡(ボラ)・鱸(スズキ)養殖試験、蛤(ハマグリ)養殖試験、重要生物調査、産卵期調査等の他に児島湾において蟶(テイ、アゲマキ)貝調査を精力的に行っており、以下のように報告している。

 「明治26年初めて本県に於いて種苗を有明海より県下児島湾に移植せし以来・・・・一昨年33年に至り沿岸漁民の之を採捕して自家用に供するのみならず進んで市場に販売するに至り・・・」そして、児島湾における調査の結論を述べている。
 「本湾が天与の生産たる理由多々ありその主なるものを記す
1)湾の吐口狭隘なるため卵子幼虫の流出少なきこと・・・・
2)粘泥大部を占め加うるに水質其の適度を得て主食物たる珪藻の最大蕃殖地たるの一事は最も其の主因なり
3)潮流の緩急は餌料供給の関係を支配するものにして延べて魚介の生長に一大影響を及ぼすものとす、しこうして本湾はその最もよろしきを得たり

    図4 蟶(テイ、アゲマキ)
  (「有明海の生きものたち」(2001)より)

(以下、保護増殖のために、輪採法、禁漁場、禁漁期の採択を提言)」
 また、漁業者等を対象にした講和および実地指導には、伏老(ハイガイ)ふ化試験、というタイトルがあり、明治期に児島湾でのアゲマキ、ハイガイ増養殖が岡山県下の重要な漁業となっていたことが分かる。
 明治37年からは児島湾においてノリ養殖試験を県下で初めて行っており、ノリ発生の有無、ノリ付着発生の時期、付着発生に関する材料の優劣、製造等について調査研究をした。
明治40年には、白魚(シラウオ)蕃殖保護調査を行い、科学的調査に基づく保護繁殖の重要性について提言している。
 「児島湾及び児島湾に流入する河川、高梁川の下流等に産し、其漁獲量敢て軽視すべからざるものあり従いて従来之が漁季に制限を設けて其乱獲を制し結果近年漸次其生産を増加せし事実あるも其産卵場産卵期其他食餌習性等特に確約の調査を欠くを以て往々営業者間に制限時期の適否に疑いを挿むの余地を存するを免れず茲を以て如上の事実を精査して其結果に據て現在の方法以上に更に有効の保護を加ふるを最も必要なるを認め・・・」

   図5 スミノエガキ


 マガキは児島湾の干潟上に稚貝を地蒔きして養殖しており、八浜で盛んであった。水産試験場では有明海に生息するスミノエガキを移植して増殖する研究を明治41年から行っており、初めて移植試験を開始するに至った理由を以下のように述べている。
 「・・・まがきと同一種なるやまた別種なるやは学説一定させる処なるも其生長力の多大なると形体の正整にして肉味又好良なる点に於いて普通種に比し優良の種類たるは疑い容れざる処なり而して之が産地たる有明海は底質潮汐海水塩分等我児島湾と稍同様にして彼此棲息生物は畧同一種類の者多く諸多の状態酷似せるを以て之を移植し蕃殖を図るの目的を以て本年度新たに之の試験を施行せり。」
 この年に行った調査は、2年生種ガキを鉄道便で運搬し、妹尾潟及び大潟に散布したが、12、3日後には2割が斃死。生長生残率の調査は次年度以降に行う、として大正9年まで継続し、成長が非常に良好で採苗も成功したが、児島湾内で自然繁殖するまでには至らなかった。

2)現在
 昭和34年の締め切り堤防完成後は、海水の汚染、浚渫土による漁業被害の調査を行ってきた。昭和47年から開始した定線海洋観測は、県下33定点において、水温、塩分、透明度、栄養塩、DO(溶存酸素量)、クロロフィルa量、COD(化学的酸素要求量)等について毎月測定し、海況変化の把握と予測を目的に行ってきた。しかし、これらの定点は沖合にあり、湾内の水質、底質、生物生息状況を把握するために平成8年から生物モニタリング調査を行っている。明治、大正、昭和の始めの時代のデーターがないので、比較できないが、昭和42年のデーターと比較すると、DO、IL(強熱減量)、COD、ベントス(底性生物)の種類、生息数など調査した全ての項目で好転の兆しが見えてきている。

  図6 コッシノディスカス
  図7 ユーカンピア


犬島周辺漁場は岡山県下のノリ生産量の7割を占める重要な漁場であり、児島湾口から広がってくる豊富な栄養塩(チッソ、リン)に支えられて高品質なノリが生産されてきた。しかし、近年は海況の変化によるものか、冬季に大型珪藻プランクトンであるコッシノディスカスやユーカンピアが大発生して栄養塩を吸収してしまい、ノリ漁場の栄養塩が不足してノリの葉体が色あせる、すなわち「色落ち」という現象が生じてノリ養殖に大被害を与えている。
平成17、18年度の夜明けには大型珪藻プランクトンの発生により、栄養塩が全県的に色落ちの限界値である3μg-at/Lを下回り、かつてない厳しい状況となった。そのため国交省を始め関係部所や関係者に働きかけて、苫田ダムの緊急放流が実現した。降雨の影響もあったが、河川水の栄養塩は河口部から最大7km離れた場所にも及んでいることが明らかになった(図8、難波他2007)。
「色落ち」現象解明のために、栄養塩、大型珪藻プランクトンの動態を把握するための調査を平成16年から行っている。また、本年からは、外部研究資金を獲得して京都大学、香川県等と協同で児島湾河口域における河川水がノリ漁場に及ぼす影響を詳細に把握することによって河川水の最適利用技術を開発し、本県のノリ養殖振興に貢献したいと考えている。

図8 平成17年2月におけるダム緊急放流後の栄養塩の広がり



児島湾再生の道

1)森里海連環
 児島湾およびその湾口は本来生産性の高い漁場であるが、旭川、吉井川の河川流域には岡山市を始め大勢の人々が生活しており、生活排水、工場排水によって環境が悪化している。また、利水、治水のために苫田ダム、旭川ダムをはじめ多くのダムが建設されている。ダムの建設により、河口域で生じることは、本来河川に流出する砂が溜められ、比重の軽い浮泥が川に流れ込んで河口域の砂干潟は泥化していく。また、①ダム湖では珪素が湖底にトラップされ、流出水は珪酸塩濃度が低くなり、河口付近の植物プランクトン組成を変化させる。②河川流量が減少することによりエスチュアリー循環が弱まり、河口域が貧栄養化する。③河川流量が平準化することにより、河口付近の植物プランクトン組成が変化する(山本、2007)等と言われている。これらの現象が総ての河口域で生じているとは考えられないが、児島湾ではどのようになっているのか、今後の調査が必要である。
 岡山県の面積の2/3は森林であり、その森林の約4割が人工林でヒノキやスギなどの常緑針葉樹が植えられている。しかし、木材価格の低迷のために間伐を放棄された森林が増えており、人工林の約7割が手入れされず荒廃、劣化が進んでいる。間伐されていない森林は陽が当たらず草も生えない真っ暗な森林となり、大雨が降ると表層土を削って泥水となって川に注ぎ込んでいる。落葉広葉樹林の森に降った雨は、落ち葉分解して形成された腐植土に浸透し、栄養豊かな水となり渓流に注ぎ込むが、保水力の乏しい針葉樹林の森では腐植土も少なく、貧栄養の水が流れ込んでいる。
 川は治水のために直線化し、生物にとって重要な瀬や淵はなくなり、護岸はコンクリートで覆われて生物の住みにくい川となって海に注いでいるのである。
 海では埋立、干拓による藻場、干潟の減少、海砂採取、乱獲等により環境が悪化している。
 このように森、川、海の自然生態系の崩壊は、総て人間の営みの結果によるものであり、人間の考え方が変わらない限り森川海のつながりの再生は実現しない(田中、2007)のである。海の環境は健全な森林、健全な川、そして健全な里の生活様式に依存しているのであり、海の環境を保全・修復するためには、これら森里海の健全な連環が成立しなければならない。
 近年、漁業者も森林の持つ効能に目覚め、「森は海の恋人」運動による植林や北海道、青森県での魚付き林復活など、漁業者による植林運動が各地で盛んになってきている。一般市民や林業関係者と協同した植林は海を豊かにするために重要であるが、その後の手入れがより重要である。そして間伐材を水産サイドで積極的に使用する試みも必要ではないだろうか。

2)里海
 里山は人里近くの利用可能な雑木林であり、人々の暮らしと自然生態系が調和して「双方が持続可能」な状態を保ってきた。しかし、近年は経済発展に伴い、人々の生活様式が変わり、それまでの物質循環型社会から一方向にのみ物質が流れていく消費型社会に変貌し、人の手が加わらなくなった里山は次々となくなっていった。
 近年、里海という概念が提唱されている。これは里山の概念を海にも当てはめたものであり、「人手が加わることにより、生産性と生物多様性が高くなった沿岸海域」と定義されている(柳、2006)。里海は生産性の高い沿岸海域の物質バランスを壊すことなく、人手を加えることにより最大限にその生産性を高めると同時に、生態系の様々な役割を担った多様な生物が生活できる海域なのである。このような里海を創造するために、我々は生産基盤の整備として藻場の再生、干潟の造成、栽培漁業の推進、海洋牧場づくり、資源生態の適合した漁場整備等を行ってきた。これからは陸域の森、川をも含めた、持続可能な生態系保全のために、山と海の交流を深め、総合的な観点の下にハード、ソフト事業を展開していかなければならない。そして何よりも重要な事は、人間の開発優先、経済優先、効率優先の考え方を改めることなのである。
 自然と人々の生活が共生し、物質の流れが一方向の直線ではなく、曲線となって循環して、ゆっくり流れていく生態系を作る努力を我々はしていかなければならない。


終わりに
 100年かけて破壊した環境は100年かけて修復しなければならない。幸い、多くの関係者の努力により瀬戸内海の環境はわずかずつではあるが好転してきている。海砂採取が禁止されてから、岡山県海域では透明度が高くなってきてアマモ場が復活してきている。また、寄島、笠岡を初め各地でアサリが、そして吉井川ではシジミが大発生している。児島湾でも干潟の環境改善等人手を少し加えることによって自然の持つ再生力を引き出してやれば、二枚貝、ベントスが復活し、更に自浄能力が高まり、豊かな児島湾が蘇るかも知れない。そしていつか水門湾等の泥干潟に我々が種苗生産して放流したハイガイ、チンダイガイが育って半世紀の時空を越えて復活してくれる、そんな日が来ることを信じて待ちたい。

 本文をまとめるに当たり、下記に示した参考文献だけではなく、多くの著作や資料を参考にさせていただいた。また、漁業者を始め岡山県水産課、岡山県水産試験場の方達からも多くの教示や情報をいただいた。ここに深く謝意を表する。

 参考文献
岡市友利・小森星児・中西弘(1996)「瀬戸内海の生物資源と環境」,恒星社厚生閣.
田中克(2007)「森里海連環学」「森・里・海の発想とは何か」,京都大学学術出版会.
同前峰雄(1985)「風土記児島湾」,日本文教出版.
難波洋平・岩本俊樹・杉野博之・清水泰子・小橋啓介・山野井英夫・田中丈裕(2007)「ノリ養殖漁場に及ぼすダム上乗せ放流の効果」,平成19年度日本水産学会春季大会.
柳哲雄(2006)「里海論」, 恒星社厚生閣.
山本民次(2007)特集「河川管理―ダムと水産」「ダム建設によるエスチュアリーの貧栄養化と食物プランクトンの変化」,日本水産学会誌,73:80~84.