大正15年5月 岡山市写真帖
善隣館・施療院
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◆説明 「善隣館」
大正6(1917)年、時の岡山県知事笠井信一は全国に先駆け済世顧問制度を創設し、県下の防貧・救貧事業にあたった。
これをうけ、岡山楮畑に大正8(1919)年、善隣館を新設した。
また、大正11(1922)年9月岡山済世協会が設立され、昭和8(1933)年7月に岡山市内田に内田善隣館を新設した。内田善隣館では託児、診療、夜間裁縫などが行われた。
なお、楮畑と内田の善隣館に直接の関係があるのかどうかについては、わからない。新たな資料の発掘に努めたい。

「施療院」
明治24(1891)年、アリス・ペティー・アダムスはアメリカン・ボードの宣教師として来岡した。アダムスは貧困児童との出会いからまず、日曜学校を開き救済事業を始めた。
明治29(1896)年には私立花畑尋常小学校を開校したが、施療の必要性も感じたアダムスは同38(1905)年、小学校の新校舎落成と同時に施療所を開始した。
明治40(1907)年、施療所の新築にともない花畑施療院と改称した。
明治45(1912)年、財団法人岡山博愛会施療院の設立が許可された。これが岡山博愛会の基礎となり現在に至る。

◆参考文献 「善隣館」について
『岡山県済世制度二十年史』 岡山県社会事業協会編 岡山県 1936
『閉ざされた街からの解放』 前田秀明著 岡山部落問題研究所 1992
『岡山市史 第6巻』 岡山市役所編 明治文献 1975

「施療院」について
『社会福祉法人岡山博愛会一〇〇年史』 更井良夫編 岡山博愛会 1991
『岡山市史 社会編』 岡山市史編集委員会編 岡山市 1966

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 〔岡山県立図書館メディア工房〕
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