金光 大神こんこうだいじん

(1814〜1883)

 宗教家・金光教の教祖
 浅口郡占見村(現金光町)の農家に生まれた。

 実直で勤勉な人格であったため、家運は向上し、社会的信用も得たが、家族を次々に失うなどの苦難に遭い、自身も42歳のとき大病にかかり生死の境をさまよった。その時に、新たな神と出会い、そこから独自の信仰生活を始めた。
 たたり神とされていた金神を地の神とし、民間信仰の神々を統合した「天地金乃神(てんちかねのかみ)」の命により、人の願いを神に祈り、神の願いを人に語る取次を始め、後半生をそれに捧げた。

 【参考資料(岡山県立図書館所蔵)】

   「金光大神覚」(金光教本部教庁、昭44)
   「金光大神覚」(村上重良校注、平凡社、昭52)
   「金光大神」(金光教本部教庁、昭28)
   「金光教祖の生涯」(瀬戸美喜雄著、金光教本部教庁、昭55)
   「金光教 金光大神の生涯と信仰」(瀬戸美喜雄著、講談社、昭60)
   「金光大神お知らせ事覚帳」(金光祺正、昭58)
   「資料小野家文書」(金光教教学研究所、昭58)
   「金光教学」(金光教徒社、年刊)

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