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熊沢蕃山 息游軒遺址碑
(備前市蕃山居宅跡)
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熊沢 蕃山くまざわ ばんざん

(1619〜1691)

 江戸前期の陽明学者であり、岡山藩番頭をつとめた。
 16歳の時から5年間池田光政に仕え、その後、現在の滋賀県で中江藤樹から陽明学を習い、のちに再び光政に仕え、政治的学問的手腕が評価され、三千石の番頭に命ぜられた。
 蕃山の治国策は、藩民への儒教の普及から軍事面の充実、治山治水などの農業土木に至るまで、国政全般に及んでいた。
 しかし、林羅山による中傷、岡山藩家中の反感により、蕃山村(しげやまむら)に引退した。「蕃山」の名はその地で「蕃山の了介」と称したことに由来する。離藩後は岡山藩政を痛烈に批判し、光政と和解することはなかった。1687(貞享4)年、幕命により政治批判の罪で下総に禁固され、同地で没した。

【参考資料(岡山県立図書館所蔵)】

 「熊沢蕃山の生涯と、思想の形成」(岩波書店、昭46)<「熊沢蕃山」日本思想大系30>
 「熊沢蕃山 思想と略伝」(牛尾春夫、第一学習社、昭43)
 「中江藤樹・熊沢蕃山」叢書日本の思想家4(明徳出版社、昭53)
 「増訂蕃山全集」全7冊(正宗敦夫編、名著出版、昭53〜57)
 「近世備前漢学史」(三浦叶著・刊、昭53)
 「備前の漢学」(三浦叶著・刊、昭53)
 「歴史と風土」(谷口澄夫先生古稀記念事業会編、福武書店、昭58)

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