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滝善三郎について
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(1)人物事典等を確認する。
・『岡山県歴史人物事典』(資料①)には「たき ぜんざぶろう 滝善三郎」の項目がある。
「1837~1868・2・9(天保8~慶応4)(中略)岡山藩家老日置帯刀忠尚(金川陣屋)の家臣。諱は正信。馬廻り役を務め家禄100石。岡山藩は王政復古の直後、新政府から摂津西宮警備を命ぜられ、1868年(慶応4)1月4日、日置帯刀隊約2000人が岡山が出発した。善三郎と兄源六郎が率いる先隊が、11日に神戸の三の宮を通過した時、3人のイギリス人が行列の前を横切ろうとした。先頭の兵がこれを制したところ、イギリス人もピストルを発砲したので善三郎は刀を抜いて応戦し、1人を切り倒し、1人を傷つけ、1人は逃げてイギリス軍艦に助けを求めた。これにより英米諸艦隊の兵が上陸して神戸を占領したが、たまたま長州藩兵が英国士官と会見して戦闘は避けられた(これを神戸事件という)。イギリス公使は誕生間もない新政府に本犯者を厳罰に処すことを強硬に要求したので、新政府も岡山藩に責任者の引き渡しを命じ、ついに2月7日善三郎が差し出された。そして9日、兵庫の永福寺において新政府の外国事務総裁伊達宗城、同判事伊藤俊輔(のちの博文)と外国官吏が見守るなか、割腹して果てた。享年33歳。(以下略)」と記載されている。
・資料①の参考文献を確認する。
『備前岡山人名彙海』(資料②)に「瀧正信」の項目がある。(本文中に通称を善三郎というと説明あり。)『岡山市史 人物編』(資料③)に「滝善三郎」の項目があり、人物紹介とともに、善三郎の遺書の写真が掲載されている。
・岡山藩の家臣という観点から、『三百藩家臣人名事典 6』(資料④)に記載があるか確認すると、「滝善三郎(たき ぜんざぶろう)」の項目がある。
・資料④の参考文献を確認する。
『岡山県人名辞書』(資料⑤)には「タキゼンザブラウ 瀧善三郎」の項目がある。『岡山県通史 下編』(資料⑥)の「〔附〕外人殺傷事件」という項目に記載されている。
(2)関連図書を確認する。
・滝善三郎と神戸事件の観点から関連図書を探すと、以下のような資料がある。人物事典等よりもさらに詳しい情報が掲載されているものが多く、神戸事件の概要とともに、善三郎の辞世の歌や、滝氏の墓、記念碑、滝家の略系などが記述されているものもある。
『明治維新神戸事件』(資料⑦)、『神戸事変と滝善三郎』(資料⑧)、『維新外交秘録神戸事件』(資料⑨)、『検証神戸事件』(資料⑩)、『神戸事件 明治外交の出発点』 (資料⑪)、『御津町史料 第4集 神戸事件と滝善三郎編』(資料⑫)、『御津町史』(資料⑬)
・『吉備群書集成 第5輯 雑部』(資料⑭)には「岡山藩士日置帯刀従者於神戸外国人ニ発砲の始末」という項目の中で記載されている。
・このほかの関連図書として、『岡義武著作集 第6巻 国民的独立と国家理性』(資料⑮)、『岡山市史 第5巻』(資料⑯)、『備前池田藩秘史』(資料⑰)といったものがある。
(3)雑誌記事を確認する。
岡山県立図書館電子図書館システム「デジタル岡山大百科」の郷土雑誌記事索引などを利用して、関連する雑誌記事を探すと、『倉敷春秋』(1976年3月;資料⑱)、『オセラ』(2006年8月;資料⑲)、『グラフおかやま』(1996年1月;資料⑳)などが見つかる。
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