Reference Database > 近水園について
近水園について
Content of questions
Content of answers
・『岡山県大百科事典 上』(資料①)には「おみずえん 近水園」の項目があり、「1959年(昭和34)岡山県指定名勝。岡山市足守にある旧足守藩主木下家の庭園。東の御殿山を借景とした、小堀遠州流の池泉回遊式の庭園である。作られた年代ははっきりとしないが,江戸時代前期の作庭と推定されている。」とある。また、「池に面して吟風閣がある。この建物は6代目藩主きん定(「きん」は漢字一文字で、上に「八」、下に「白」と書く)が、1708年(宝永5)幕府御用として京都御所の仙洞御所、中宮御所を普請した時、その残材を持ち帰り建てた。」と記載されている。
・『岡山県歴史人物事典』(資料②)には「きのした きんさだ 木下きん定」(「きん」は漢字一文字で、上に「八」、下に「白」と書く)の項目があり、「1653.6.7~1730.12.24(承応2~享保15)第6代足守藩主。父は第5代足守藩主木下利貞、母は金森出雲守重頼の娘。(中略)1708年(宝永5)仙洞御所・中宮御所の普請役を務め、落成後廃材の一部を利用して近水園(現岡山市足守)の中に数寄屋を建てる。」と記載されているが、近水園がいつ頃出来たかについては記載がない。
・『岡山県指定名勝近水園(吟風閣)保存修理工事報告書』(資料③)には、「近水園の造成」の項目がある。そこでは、「この近水園は学問や教育の造詣の深かった6代藩主木下きん定(「きん」は漢字一文字で、上に「八」、下に「白」と書く)の時代(延宝7年~享保15年)に築造されたとみられるが、いつごろ築造されたのかは明らかでない。しかし(1)きん定(「きん」は前述の漢字)は宝永3年に参勤交代で出府する途中、岡山へ立ち寄り池田綱政が築造した後園(現後楽園)を訪れている。(中略)後園が完成して6年後のことであり、近水園築造の参考とするためであったことが考えられる。(2)山中に池を築いて水を引き、滝に水を落とす手法は綱政が元禄11年(1698)に造営した池田家の菩提寺・曹源寺の庭園に採用されている。近水園の滝もこれを参考にしたことが考えられる。(3)吟風閣は宝永5年(1708)に6代藩主木下きん定(「きん」は前述の漢字)が幕府から京都仙洞御所の普請を命じられ、その建築にあたったとき、残材を拝領して建てた伝えられている。こうしたことからみると、近水園の築造は宝永3年から5~6年ごろにかけてではないかと考えられる。」と記載がある。
・中力昭「近水園 モニュメント吉備の国 岡山市足守」(資料④)にも資料①と同様の記載がある。
Library / institute
岡山県立図書館
Category Information
![]() | Reference Database > レファレンス事例データ > 岡山県立図書館 |
---|