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水泳のバタフライの歴史

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水泳のバタフライという泳ぎ方は、どうして始まったのかわかる児童書が読みたい。

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以下の①~④のとおり、バタフライの泳ぎ方のはじまりに関する人物や年は資料によって違う。詳細は以下のとおり。

①では、「第二次世界大戦後日本が初めて参加した1952年のヘルシンキ・オリンピック大会では、200メートル平泳ぎ決勝出場者全員が、バタフライ泳法でした。ここでいうバタフライ泳法とは、手は蝶蝶のように羽ばたかせるのですが、足はまだ蛙足というスタイルでした。戦後のこの時代は、体を左右対称に動かす泳法を「平泳ぎ」といっていたので、バタフライのように手を上にあげても規則違反ではなかったのです。このバタフライ泳法は、従来の平泳ぎに比べればとても早く泳ぐことができたので、今までの蛙足の平泳ぎではとても勝てないことがわかってきて、この大会以後、平泳ぎ種目でのバタフライ泳法は禁止されることになってしまいました。そして、1954年に、バタフライは平泳ぎから独立した種目となりました。ところで、現在のドルフィンキックを考案したのは日本人なのです。その人、長沢二郎選手は、ヘルシンキで痛めたひざをかばいながら泳いでいるとき、ドルフィン式キックを考えついたそうです。みなさんも、足を脱力し手を蝶のように動かしてみると、どうして長沢選手がドルフィンキックに気づいたか、わかると思います。上体のうねりによって、足が上下に動き、バランスがとてもよくとれます。意識しないでもドルフィンキックが出てくるのです。発明はちょっとした契機から生まれてくるものですが、このことに気づいた長沢選手の、先を見抜くすばらしい力と、それに改良を加えた創造力によって、1954年ドルフィンキック式バタフライが完成したのです。」と、説明されている。

②では、「バタフライという泳ぎ方は、どうして生まれたの?」という項目の中で、「平泳ぎから発展した泳ぎ方なのです。始まりは今から八十年ほど前。当時も平泳ぎは、今と同じカエルのような泳ぎ方をしていました。しかし、平泳ぎのきまりはただ、「うつぶせで、手足を左右対称に動かすこと」となっているだけでした。そこで、ドイツのエーリッヒ・ラーデマッヒェルはチョウが羽ばたくように水をかいたほうが、速く泳げるのではないかと考えました。一九二八年のオランダ・アムステルダムオリンピックで、ラーデマッヒェルは、現在のバタフライの手のかきと、平泳ぎのキックを組みあわせた泳ぎ方で二百メートル平泳ぎに出場し、見事、銀メダルにかがやきました。すると、この泳ぎ方をまねする選手が増え、一九五二年のフィンランド・ヘルシンキオリンピックでは、ほとんどの選手がするようになりました。そこで翌年、国際水泳連盟はラーデマッヒェルが考えだした泳ぎ方を、平泳ぎとは別の種目としてあつかうことに決めました。こうして、クロール、背泳ぎ、平泳ぎに次ぐ第四の泳ぎ方として、「バタフライ」が誕生したのです。ドルフィンキックを使った泳ぎ方を考えだしたのは、日本の長沢二郎選手です。ひざをいためて平泳ぎのキックができなくなってしまった長沢選手は、一九五四年のヨーロッパ遠征で、両足をそろえて上下に動かすドルフィンキックを習得。研究を重ね、ひとかきにつきドルフィンキックを二回ける、現在のバタフライの泳ぎ方を完成させたのです。」と、説明している。

③では、「ドルフィンキックの生みの親は日本人」のコラムでは、「1928年アムステルダム大会の平泳ぎでドイツのラーデマッヒェルが、腕を水上に出してリカバリーを行ったのがバタフライ誕生のきっかけといわれている。1956年のメルボルン大会からは「バタフライ」という独立した種目が行われるようになったが、当時のキックは平泳ぎと同じ方法。オリンピックをめざしていた長沢二郎は、ひざのけがで平泳ぎのキックの練習ができなかった。そこで、ためしに両足をそろえてクロールのように上下にキックをしたところ、思いのほかスピードが出た。それがきっかけで現在のドルフィンキックが誕生したのだ。」と、記載されている。

④では、「バタフライの進化」の項目で、「バタフライは、平泳ぎから生まれた泳ぎ方です。1933年、アメリカのM・メイヤースという選手が、あしは平泳ぎと同じ動きのまま、腕はいまのバタフライのように水から出して前にもっていくというかわった平泳ぎで大会に出場しました。この泳ぎ方は「バタフライ式平泳ぎ」とよばれ、ふつうの平泳ぎよりもスピードが出るとして一気にひろまりました。この泳ぎ方を、現在のバタフライにかえるきっかけをつくったのが、日本の長沢二郎です。1952年、長沢はひざをけがしていて「バタフライ式平泳ぎ」でおこなう平泳ぎのキックができなかったため、両あしをそろえて上下に動かすドルフィンキックをしました。すると予想以上にスピードが出ることがわかったのです。これをきっかけに、両手を同時に水から出し、あしはドルフィンキックですすむという新しい泳ぎ方が、「バタフライ」として平泳ぎから独立し、1956年のメルボルン大会で、オリンピックの正式種目となりました。」と、記載されている。

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水泳のバタフライの歴史

(スイエイノバタフライノレキシ)

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(オカヤマケンリツトショカン)

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①川口智久『水泳らくらく入門』 岩波書店,1994,172p. 参照はp.134-135.
②『なぜ?どうして?身近なぎもん 5年生』 学研教育出版,2011,192p. 参照はp.151-153.
③青木剛『水泳』 ポプラ社,2005,159p. 参照はp.119.
④こどもくらぶ『スポーツなんでも事典 水泳』 ほるぷ出版,2009,72p. 参照はp.24.

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049:雑著

785:水上競技

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