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中世ヨーロッパの金の貿易ルートについて

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1211年~1475年に建てられたランスのノートルダム大聖堂などには金が使われているが、その金はどこで産出されたものか

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①『図説金の文化史』
p.28-29「中世のヨーロッパでは、アフリカとのあいだに直接の通商はなく、中東のイスラム教徒が仲介の役割を果たしていた。また、北アフリカのムーア人の軍事部隊により、ヨーロッパへ運ばれる金をはじめ、アフリカの産物を求めるヨーロッパ人はつねに決まった通商路を使わなければならなかった。そんなヨーロッパ人が交易商人をとおして耳にした噂によれば、彼らがアラブ人から仕入れている金は、西ナイル地方南部の黒人民族からもたらされるが、北アフリカのイスラムの王でさえ、その金が正確にどこから来るのかは知らなかった。」と書かれている。

p.30に、1415年にポルトガルのエンリケ航海王子がジブラルタル海峡に臨むセウタを攻略、西アフリカの植民地化を進め、砂金をリスボンへ運んだと書かれている。また、1482年にのちに「黄金海岸」と呼ばれるようになるガーナの地に最初の植民地を建設したことが書かれている。

②『図説金と銀の文化史』
p.54-56 Part1金の文化史 第3章貨幣〈ヨーロッパの貨幣鋳造〉に「一二五一‐二年にジェノヴァとフィレンツェが―それぞれジェノヴィーノとフロリン―金貨の鋳造を始め、ヴェネツィアが、ビザンティンのコインを使い続けながらも、一二八四年にダカット金貨をつくり始める。これらの金貨製造に使われた金は、大部分がまだアフリカからのものだった。サハラ縦断交易はエジプトを離れて西へ移動し、北アフリカと交易するイタリアの都市に利用されやすくなった。国際貿易の拡大と、イングランドとフランスの百年戦争(一三三七-一四五三年)や十字軍といった戦争にかかる膨大な経費は、すべて大規模な資金の移動を必要とした。金のように高価な商品を持っていることが、こうした決済に必須となる。十五世紀後半にはポルトガルが、イタリアや北アフリカの仲介を経ずに、西アフリカの金を直接入手できるようになった。」と書かれている。

③『ゴールド』
p.72ビザンティン帝国のコンスタンティヌス1世のつくったベザント金貨について「金の一部は東方の国境を越えたはるかロシアの地からのものだったが、最も潤沢な金の源泉はエジプト南部からスーダンにかけてのヌビアの古い金鉱だった。」「七世紀にアラブのムスリムがこの地域を征服してヌビア人と永続的な関係を築くと、ビザンティンは底なしと思えた金の源泉をすっかり絶たれてしまったのである。」と書かれている。

p.82「イスラーム軍はペルシアやシリア、エジプト、パレスチナを侵略して戦利品を獲得し」(中略)「エジプト侵略では何千年もファラオの墓に眠っていた金塊を略奪して、山のような財宝を集めた。また、エジプトやヌビアやエチオピアの古い金鉱の採掘を試みる一方で、新しい金鉱を求めてこの地域の山水系を徹底的に探しまわった。」と書かれている。

p.82-83「ダマスカスのカリフ、アブド・アルマリクが独自の金貨―ディナール―を発行した。純度九七パーセントのディナール金貨は大量に鋳造され、しだいにベザント金貨にかわって主たる国際通貨になり、イスラーム圏とキリスト教のヨーロッパに流通した。」と書かれている。

p.83「北アフリカ沿岸を征服して定住した結果、アラブ人はカルタゴの繁栄を一〇〇〇年あまりも支えてきた金の源泉にアクセスできることになった。西アフリカの金鉱を所有しはしなかったが、貿易の才が役に立った。数百年にわたって、アラブ人は遠く南の地に隠されていた金を独占的に買いつけた。そこはサハラ砂漠の南端からさらに南に広がるおよそ一五五〇平方キロメートルの地域で、南端はコートジボアールからナイジェリアまで東西に延びる海岸線だった。」と書かれており、この地域は黄金海岸の名でも知られるようになったと紹介されている。

p.105「十字軍が使った金の大半は聖地からのもので、これによってヨーロッパはあまり金を輸入しなくてもすむようになった。」とあり、1967年にアンドルー・ワトソン教授が経済歴史学会に提出した論文に、十字軍が遠征で手に入れた金の収入源として金で支払った寄付金、税、黄金製ランプなどの略奪品などの具体例があげられていることを紹介している。

p.109 1252年ジェノヴィーノ金貨を発行した時期のジェノヴァについて「ジェノヴァに入ってくる金は増加していった。新しい金鉱がボヘミアに開かれたが、ジェノヴァに流入したのは主にアフリカの金だった。これはイタリアの都市が北アフリカとのあいだに維持した順調な貿易収支の結果である。また、ジェノヴァに残る記録が示しているように、レヴァントとの貿易も好転し、イスラーム諸国やビザンティン帝国から硬貨がもたらされ、ジェノヴァの硬貨につくりかえられた。」と書かれている。

④『黄金の世界史』 
p.138「西イスラム世界では、九〇九年に、北アフリカ中央部においてファーティマ朝が興った。この王朝は九六九年にエジプトに進出し、九七三年にはカイロを首都として、勢力を伸長しはじめた。」と書かれている。そして、ファーティマ朝が勢力を伸ばすことができた理由として、西アフリカのスーダンの豊富な黄金を使って、ディーナール金貨を鋳造し続けたこと、「カイロ、フスタートを基点とするエジプト―紅海のルートによってインド洋の通商圏と強力な連絡をつける政策をとった」ことの2点を挙げている。

p.143 黄金の交易路について、「西方ルートは、モロッコのフェズないしはマラケシュからニジェル川の大湾曲点に達するもの」「中央ルートは、チュニジアのカイルワンかチュニスからニジェル川とチャド湖の間の地帯に達するもの」「東側のルートは、リビアのトリポリないしはエジプトからチャド湖に達する道」の3つが挙げられている。

p.149-150 10世紀末ごろの貿易の例として、「イタリア商人のマグレブ地方に対する関心は、もちろんサハラの金への接近を考えたからだった。」「黄金産地の西アフリカが求めていたのは、なによりもまず塩であったが、北アフリカの岩塩の鉱山はベルベル人が支配していたので、これにはイタリア人も介入することはできなかった。塩の代わりにイタリア商人たちが北アフリカの港で金と交易を行なったのは、毛織物類であった。」「イタリア商人がスーダンの金で行った有名な貿易に、アレクサンドリアにおける香料貿易がある。」「紅海経由でもたらされる胡椒をはじめとする香料の独占貿易を手に入れた」と書かれており、毛織物・胡椒をはじめとする香料との交易で金を得ていたことが分かる。

p.158 西アフリカからリスボンに運ばれた金の量について、「一五〇〇年ごろ、一年に一七万ドブロン」「一ドブロンは純金四.四グラムだから、これは約七四八キロの金ということになる。」という説と、「一五〇〇年から一五二〇年の間に、毎年七〇〇キロ」という2つの説を紹介している。

⑤『文明の「血液」貨幣から見た世界史』
p.183-254 <第6章西ヨーロッパの誕生>では、イスラームと西ヨーロッパとの交易、貨幣経済について書かれている。

そのうち、p.233<どこから金を入手したか>には、M.Bloch著,森本芳樹訳『西欧中世の自然経済と貨幣経済』p.67の記述を紹介している。それによると、武具、木材、穀物、亜麻布、上質の毛織物が地中海の東部や南部に輸出され、貿易の黒字として金が港に流入してきたと書かれている。

p.242-243で、14,15世紀のヨーロッパ経済について、「金飢饉は遠距離交換経済の増大する需要に直面してのものであった。(中略)金はほとんど完全にイベリア半島から消えた」と述べているピエール・ショーニュの説を紹介している。同時にその説を否定する、「貨幣供給は一五〇〇年までヨーロッパの必要に十分なものであった」とするA.W.ワトソンの説を紹介している。ワトソンによると、「十字軍」とともに銀の流出が始まり、マグリブ行きの膨大な銀の代金として西ヨーロッパが「ガーナの金」を受け取ったとしている。

p.462-465 古代~19世紀までの金生産量の表があり、<500~1000年><1000~1492年><1493~1600年>の地域別の金の生産量が示されている。

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中世ヨーロッパの金の貿易ルートについて

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①レベッカ・ゾラック, マイケル・W.フィリップス・ジュニア『図説金の文化史』 原書房,2016,228,17p. 参照はp.28-32.
②スーザン・ラニース, フィリパ・メリマン『図説金と銀の文化史』 柊風舎,2012,305,12p. 参照はp.54-56.
③ピーター・バーンスタイン『ゴールド』 日本経済新聞社,2001,522p. 参照はp.72.p.82-83.p.105.p.109.
④増田義郎『黄金の世界史』 小学館,1997,254p. 参照はp.135-159.
⑤湯浅赳男『文明の「血液」貨幣から見た世界史』 新評論,1988,470p. 参照はp.183-254.p.462-465.

NDC classification
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565:非鉄金属

337:貨幣.通貨

209:世界史.文化史

332:経済史・事情.経済体制

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