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内田栄一の実家・内田興文堂
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資料①『日本主体派』(第1号)の奥付にある編輯者(内田栄一)と発行所(前衛文学会)の住所が同じ「岡山市西大寺町97」となっている。また資料②『日本主体派』(第2号)では前衛文学会の住所が「岡山市西大寺町 内田書店内」となっている。
内田栄一(小説家、脚本家)の実家の書店は現在のどこか、また内田栄一が通った小学校を知りたい。
Content of answers
【実家の書店について】
資料③『まぁ映画な、岡山じゃ県 3』によると、内田栄一は岡山市内の古書店の息子だったとある。
資料④『オセラ』(17号)には古本屋「内田興文堂」の長男とある。
資料⑤『岡山市街精密地図』を見ると、西大寺町停留場があり、その前に「内田」という区画と、付け足しで「興文堂」とあった。
資料⑥『ゼンリン住宅地図岡山県岡山市 1-[1] 北区1 2021』と比較すると、西大寺町電停前は「岡山市北区表町3丁目9番地」区画である。
資料⑦『岡山-古本屋巡礼』には、内田興文堂の店頭、店内の写真などがあり、利用していた客による内田栄一に関する思い出なども書かれている。
【小学校について】
資料⑧『赤いチンチン電車』の著者は内田栄一の実妹で、実家の古書店や子供時代の兄・栄一の思い出などを書いている。
3歳違いの兄、内山下国民学校に通っていた、著者は昭和20年(1945)に6年生、などが断片的に出ている。
資料⑨『〔岡山市立内山下小学校〕創立六十年誌』によると、学区に西大寺町が入っている。
また、名称が内山下国民学校の期間は、昭和14年(1939)から同22年(1947)となっている。
資料⑩『[岡山市立内山下小学校]校友会名簿 1976』の昭和18年(1943)卒業に、名前のみだが「内田栄一」と出ている。
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