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「軍神片山兵曹長の歌」について
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・『軍神片山兵曹長』(資料①)より、片山兵曹長は「片山義雄」という名前とわかる。
・『岡山県歴史人物事典』(資料②)にて、片山義雄の項目を確認する。片山義雄(かたやまよしお)は、真珠湾9軍神の一人。1918年(大正7)9月10日に旧赤磐郡五城村矢知(現岡山市北区御津矢知)で生まれる。1941年(昭和16)12月8日の開戦の際、航空部隊と呼応しハワイ真珠湾内に突入した特別攻撃隊の特殊潜航艇に乗り組み、戦死した。3ヵ月後、大本営と海軍省は乗組員9人を2階級特進させ、義雄はこれにより二等兵曹から兵曹長に進級したとある。
・資料②により、片山兵曹長は旧赤磐郡の生まれであることが確認できたので、『赤磐郡銘鑑』(資料③)を見るが、片山義男についての記載はあるものの歌の掲載はない。また、『改修赤磐郡誌』(資料④)を見るが、人物及び歌の掲載はない。
・資料②の出典情報の『御津町史』(資料⑤)を確認すると、片山兵曹長の五城村の村葬において、中学校の講堂へ楽団が来て、「まきびの歌」「軍神片山兵曹長の歌」などを発表したことについて記載がある。
そして、片山兵曹長の遺書、肖像、墓地の写真とともに、片山兵曹長に関連する歌(タイトルなし)が記載されている。その歌詞は、「一 おお赤磐の五城村まぶたに浮ぶ山川よ誰が愛撫の鞭受けてきたえし命うれしくも君に捧げて殉国の華と香らん時は来ぬ いざ行けハワイ真珠湾」となっている。
・『岡山県史 第30巻』(資料⑥)には、昭和17年4月23日の合同新聞の記事「軍神片山兵曹長の村葬」が掲載されている。記事には、「…軍神を讃へる唱歌“まきびの花”を学童が合唱…」と書かれているが、歌の歌詞は記載されていない。
・資料⑥より、昭和17年4月23日の『合同新聞』(資料⑦)を確認するが、4月22日の五城村での葬儀の様子が記事になっているものの、歌に関する記載は見当たらない。
・当館作成の新聞記事スクラップより、山陽新聞連載記事「こんな出来事が “『岡山百年』山陽新聞から”」を確認すると、昭和54年2月4日の山陽新聞朝刊にある「軍神片山兵曹長 昭和16年」という記事(資料⑧)に下記の記載があった。
「“おお赤磐の五城村 まぶたに浮ぶ山や川…いざ征(ゆ)けハワイ真珠湾”(岡山二中教諭岩佐守一作詞)の歌が県民に愛唱され義雄の栄誉をたたえた」とある。歌詞中の「…」は省略されもので、全文の記載がない。
・資料⑧を受け、作詞の「岩佐守一」について、人名事典類をはじめ、岡山県立図書館電子図書館システム「デジタル岡山大百科」の雑誌記事索引、当館作成の新聞記事スクラップ等を確認するが該当なし。
・また、岩佐守一の所属であった岡山二中(岡山県第二岡山中学校)に関する資料(資料⑨~⑬)をあたるが歌に関する記載見当たらない。
・『岡山人じゃが 4 「地域」って奥深い』(資料⑭)の「“軍神”とたたえられた海軍兵曹長片山義雄」の項目にも、歌について記載はない。本文中に出てくる『九軍神は語らず』(資料⑮)の「“軍神・片山義雄”―九十歳の母」の項目を確認するが、歌に関する記載はない。
・その他に片山兵曹長について記載のある資料(資料①,⑯~⑲)を確認するが該当なし。また、軍歌や唱歌の資料(資料⑳~㉕)を確認するが該当がない。
以上により「軍神片山兵曹長の歌」の歌詞が明確に記載されている資料は見つけられなかった。
・昭和18年2月27日『合同新聞』(資料㉖)には、「嗚呼軍神片山兵曹長」と題する歌の歌詞が4番まで収録されている。
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