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玉島臨港鉄道
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①『新修倉敷市史 7 現代』には、実現できなかった鉄道計画3つのうちの1つとして、玉島駅-玉島外港間の玉島臨港鉄道が紹介されている。
②『新修倉敷市史 8 自然・風土・民俗』では、戦前の計画とともに、戦後の流れが書かれている。戦後の流れとしては、1955年(昭和31)12月の玉島市議会の議決を経て、翌年2月に国鉄に陳情書を提出したところから、1976年(昭和51)に計画が白紙に戻されるまでがまとめられている。
③『水島のあゆみ』には、昭和34年2月に旧玉島市が岡山鉄道管理局との間に締結した「玉島臨港鉄道新設工事の施行に伴う鉄道債券引受けに関する契約書」の主な契約事項が書かれている。また、工事が一時中止になった時点での投下された資金1億8800万円の内訳や昭和46年3月25日付けで交わされた「玉島臨港線(含、公共臨港線)新設工事施行一時中止に伴う協定書」の内容も掲載されている。
④『玉島・溜川周辺ためコロジーマップ』には、「幻の『玉島臨港鉄道』をたどる」として、残っている橋梁の写真が掲載されている。
⑤『山陽新聞』1979年1月24日付朝刊の倉敷版(p.13)に「来春、部分開通へ 玉島産業道路バイパス 線路敷の改良順調」という見出しの記事が掲載されている。これには、「玉島の産業道路(都計街路堀貫線)のバイパスとして“再生”することになった玉島臨港鉄道の線路敷の改良工事が順調に進んでいる。市では玉島乙島の水玉ハイウェイから国道2号線北側の市道玉島-上成線の中潟までの1.3キロの整備を急ぎ、55年春には部分開通される予定。臨海鉄道線路敷のうち、道路として整備するのは水玉ハイウェイ-玉島バイパス予定ルート間2.3キロ。」と書かれている。
⑥『毎日新聞』1982年11月2日付朝刊の岡山版(p.16)に「倉敷市玉島 53年から着工の市道臨港線が開通」という見出しの記事が掲載されている。倉敷市玉島一の国道2号をまたぐ高架橋など市道臨港線の北川部分(延長540メートル)が完成、このほど開通した。市が53年度から約3億9千万円かけ、国道2号線をまたいで、市道中潟線と水玉ハイウエーを接続する市道臨港線延長1.3キロの整備を進めてきた残り北側部分」とある。
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