郷土情報ネットワーク > かくれキリシタンの墓かくれキリシタンの墓画像数:1枚ボタン説明カテゴリ情報郷土情報ネットワーク > 郷土情報ネットワーク > 21 岡山県内の図書館等(県立図書館は除いています) > 鏡野町立図書館郷土情報ネットワーク > 郷土情報ネットワーク > 21 岡山県内の図書館等(県立図書館は除いています) > 鏡野町立図書館TweetTweetメタデータタイトルタイトルかくれキリシタンの墓(カクレキリシタン ノ ハカ)郷土情報の種類郷土情報の種類画像作成者または作成団体作成者または作成団体鏡野町立図書館(カガミノチョウリツトショカン)公開者または公開団体公開者または公開団体鏡野町立図書館(カガミノチョウリツトショカン)郷土情報の概要郷土情報の概要真加部観音峪、坂口春美氏宅の東約50m余りのところに孤立した墓地があり、ラントウ墓ただ1基だけが祀られていた。現在、この墓は真加部栃ヶ鼻秋富勝海氏宅入口の同家墓地内に移転されている。 このラントウ墓は、家形で屋根の上幅33cm、下幅52cm、高さ32cm、見の高さ36.5cm、横幅42cm、下部奥行21.5cm、上部奥行20cmであるが、その屋根の正面に十字が刻まれている。この十字は横線長さ15cm、縦線長さ13cmである。昭和55年(1980)1月、観音峪一帯の農業基盤整備のため、この墓を移転することになったのであるが、墓石の下に、径70cm、深さ約1mの墓穴と認められる黒色を帯びた土があり、その底部に一文銭が3個発見されたが、他には何もなかったということである。墓には、不明確ながら、元禄7年(1694)2月19日 養常空禅定門とらしく読める字が刻まれている。キリスト教の潜伏信者をかくれキリシタンというが、この墓もかくれキリシタンの墓と思われる。しかし、残念ながら今のところ、この墓に関する記録、言伝え等全く残されていないようである。キリスト教の禁止は、豊臣秀吉によって初めて行われ、その後、慶長・元和のころには江戸幕府による大追放が行われたが、実際には信者は各地に存在したのである。昭和54年4月1日 鏡野町指定史跡。場所場所岡山県苫田郡鏡野町真加部字観音峪105NDC分類NDC分類190:キリスト教検索キーワード検索キーワードキリシタン墓参考情報源または引用情報源参考情報源または引用情報源鏡野町文化財保護委員会編「鏡野町の文化財」鏡野町教育委員会,2003,p.41.対象年齢対象年齢全年齢, 高校生, 中学生, 小学生(高学年), 小学生(低学年以下)郷土情報の言語郷土情報の言語jpnメタデータ公開年月日メタデータ公開年月日2011-02-27このページのURLこのページのURLhttp://digioka.libnet.pref.okayama.jp/detail-jp/id/kyo/M2004070112125009740関連するコンテンツ郷土情報ネットワーク続きはこちら >レファレンスデータベース続きはこちら >