【かくれキリシタンの墓】 - デジタル岡山大百科 | 郷土情報ネットワーク
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かくれキリシタンの墓

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カテゴリ情報

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メタデータ

タイトル
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かくれキリシタンの墓

(カクレキリシタン ノ ハカ)

郷土情報の種類
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画像

作成者または作成団体
作成者または作成団体

鏡野町立図書館

(カガミノチョウリツトショカン)

公開者または公開団体
公開者または公開団体

鏡野町立図書館

(カガミノチョウリツトショカン)

郷土情報の概要
郷土情報の概要

真加部観音峪、坂口春美氏宅の東約50m余りのところに孤立した墓地があり、ラントウ墓ただ1基だけが祀られていた。現在、この墓は真加部栃ヶ鼻秋富勝海氏宅入口の同家墓地内に移転されている。 このラントウ墓は、家形で屋根の上幅33cm、下幅52cm、高さ32cm、見の高さ36.5cm、横幅42cm、下部奥行21.5cm、上部奥行20cmであるが、その屋根の正面に十字が刻まれている。この十字は横線長さ15cm、縦線長さ13cmである。昭和55年(1980)1月、観音峪一帯の農業基盤整備のため、この墓を移転することになったのであるが、墓石の下に、径70cm、深さ約1mの墓穴と認められる黒色を帯びた土があり、その底部に一文銭が3個発見されたが、他には何もなかったということである。墓には、不明確ながら、元禄7年(1694)2月19日 養常空禅定門とらしく読める字が刻まれている。キリスト教の潜伏信者をかくれキリシタンというが、この墓もかくれキリシタンの墓と思われる。しかし、残念ながら今のところ、この墓に関する記録、言伝え等全く残されていないようである。キリスト教の禁止は、豊臣秀吉によって初めて行われ、その後、慶長・元和のころには江戸幕府による大追放が行われたが、実際には信者は各地に存在したのである。昭和54年4月1日 鏡野町指定史跡。

場所
場所

岡山県苫田郡鏡野町真加部字観音峪105

NDC分類
NDC分類

190:キリスト教

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