【池田遙邨】 - デジタル岡山大百科 | 郷土情報ネットワーク
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池田遙邨

動画数:1本

カテゴリ情報

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メタデータ

タイトル
タイトル

池田遙邨

(イケダヨウソン)

郷土情報の種類
郷土情報の種類

動画

作成者または作成団体
作成者または作成団体

テレビせとうちクリエイト

(テレビセトウチクリエイト)

公開者または公開団体
公開者または公開団体

岡山県立図書館

(オカヤケンリツトショカン)

共同作成者または共同作成団体
共同作成者または共同作成団体

京都国立近代美術館

(キョウトコクリツキンダイビジュツカン)

京都市美術館

(キョウトシビジュツカン)

倉敷市立美術館

(クラシキシリツビジュツカン)

郷土情報の概要
郷土情報の概要

日本画家・池田遙邨は、明治28年、現在の岡山県倉敷市玉島で生まれました。幼い頃から、絵に興味を示し、3歳の頃には、当時住んでいた大阪・淀川の巡航船ばかり描いていたといいます。15歳の時、岡山出身の洋画家・松原三五郎の下で修行を始めた後、独学で日本画に転向。その後、同じ岡山県出身の日本画家・小野竹喬を通じ、竹内栖鳳のもとで本格的に日本画を学んで、画才を開花させました。大和絵や南宋画など、古典を研究し、日本画の伝統を継承するとともに遙邨が最も心惹かれたのは、安藤広重でした。浮世絵の遠近法、発想などを積極的に吸収。さらに、実際に自らの足で、広重の「東海道五十三次」を歩いて完成させたのが「昭和東海道五十三次」です。昭和47年発表の「囁」。ゆったりとほほえましいこの作品を契機に自由で楽しい、心のゆとりを感じさせる作品が増えてきます。その後、昭和55年の「夜」、昭和57年の「朧夜」など、次々と意欲作を発表。80歳を過ぎてなお、美の追求へのエネルギーは衰えることなく、昭和62年には文化勲章を受章しました。そして、遙邨が晩年に選んだテーマは、漂泊の自由律俳人・山頭火でした。「風ふいて一文もない」「行きくれてなんとここらの水のうまさは」「枯草につヽましくけふのおべんたう」「青空したしくしんかんとして」旅を愛した画家・池田遙邨は、昭和63年9月飄々と自在に描き続けた92年の生涯を閉じました。

場所
場所

岡山県倉敷市玉島乙島

NDC分類
NDC分類

217.5:岡山県
289:個人伝記

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http://digioka.libnet.pref.okayama.jp/detail-jp/id/kyo/M2004090120431837521