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土光敏夫
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メタデータ
タイトル | |
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タイトル | 土光敏夫 (ドコウトシオ) |
郷土情報の種類 | |
郷土情報の種類 | 動画 |
作成者または作成団体 | |
作成者または作成団体 | テレビせとうちクリエイト (テレビセトウチクリエイト) |
公開者または公開団体 | |
公開者または公開団体 | 岡山県立図書館 (オカヤケンリツトショカン) |
郷土情報の概要 | |
郷土情報の概要 | ”土光敏夫。「ミスター合理化」「財界の荒法師」「再建屋」・・・・いくつもの名前で親しまれた財界人です。明治29年、御津郡大野村、現在の岡山市北長瀬に生まれた土光敏夫は関西中学から東京高等工業学校、現在の東京工業大学に進み、卒業後、石川島造船所に入ります。ここで国産タービンの生産に成功を収めた後、赤字、給料遅配、スト続きで苦しむ中昭和25年、社長に就任。徹底した合理化によって会社の建て直しを図りました。さらに、昭和35年には合併によって誕生した石川島播磨重工、昭和40年には、業績不振にあえぐ東京芝浦電気、現在の東芝の社長となり、次々と、再建に成功したのです。第一次オイル””ショック後の不況の中、昭和49年、第4代経団連会長に就任。常に、その生活がつつましいものだったことは、よく知られています。夕食のおかずは、メザシと梅干、キャベツの一番外側の葉、大根の葉っぱ・・・。そこでついたあだ名が「メザシの土光さん」でした。経団連会長を辞任後、昭和56年、臨時行政調査会の会長に就任。その後、昭和58年、中曽根首相の要請により「臨時行政改革推進審議会」会長になりました。「土光さんだから信頼できる」という国民の声にも後押しされ行革に腕を振るいました。日本を代表する経済人として、華やかな実績を残しながら私利私欲を一切排した「無私の人」土光敏夫は昭和63年、92歳でその生涯を終えました。 |
場所 | |
場所 | 岡山県岡山市北長瀬 |
NDC分類 | |
NDC分類 | 217.5:岡山県 |


検索キーワード | |
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検索キーワード | 土光 敏夫 |
参考情報源または引用情報源 | |
参考情報源または引用情報源 | 「ふるさとの群像」テレビせとうち1995-08-27T11:00+01:00 |
対象年齢 | |
対象年齢 | 全年齢, 高校生, 中学生, 小学生(高学年), 小学生(低学年以下) |
郷土情報の言語 | |
郷土情報の言語 | jpn |
メタデータ作成年月日 | |
メタデータ作成年月日 | 2004-03-20 |
メタデータ公開年月日 | |
メタデータ公開年月日 | 2011-02-27 |
メタデータ更新年月日 | |
メタデータ更新年月日 | 2020-03-04 |
このページのURL | |
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このページのURL | http://digioka.libnet.pref.okayama.jp/detail-jp/id/kyo/M2004090120432737529 |