【瀬戸内ハンセン病訴訟和解】 - デジタル岡山大百科 | 郷土情報ネットワーク
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瀬戸内ハンセン病訴訟和解

動画数:1本

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メタデータ

タイトル
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瀬戸内ハンセン病訴訟和解

(セトウチハンセンビョウソショウワカイ)

郷土情報の種類
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動画

作成者または作成団体
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テレビせとうちクリエイト

(テレビセトウチクリエイト)

公開者または公開団体
公開者または公開団体

岡山県立図書館

(オカヤケンリツトショカン)

共同作成者または共同作成団体
共同作成者または共同作成団体

愛生園歴史館

(アイセイエンレキシカン)

郷土情報の概要
郷土情報の概要

2001年7月24日。「瀬戸内ハンセン病訴訟」で元・患者たちの長い苦難の歴史に節目が訪れました。ハンセン病は、らい菌が末梢神経などを侵す慢性の感染症です。菌の毒性は極めて弱く、感染しても発病するのは稀です。しかし、「遺伝病や強い伝染病である」といった、ハンセン病についての間違った認識は、隔離政策という悲劇を生みました。1907年に「癩予防ニ関スル件」、後の「らい予防法」が成立。患者たちは、岡山県邑久町にある長島愛生園など、全国13ヵ所に開設された、国立療養所に隔離されました。そして、1943年に化学療法剤で確実に治る病気となってからも元・患者たちに対する差別は続きました。90年代に入り、変化の兆しが訪れます。1999年、岡山・香川の元・患者が「らい予防法に基づく国の強制隔離政策は違憲」として提訴。いわゆる「瀬戸内ハンセン病訴訟」です。これは、96年に「らい予防法」が廃止され、98年には、熊本、鹿児島の元患者が熊本地裁へ初の提訴を行った流れを受けたものでした。そして、2001年、熊本地裁で、隔離政策の違憲性と国家賠償を認める判決を受け、国は控訴しないことを決定。和解にむけた話し合いが始まりました。「瀬戸内ハンセン病訴訟」においては、2001年7月24日、国の謝罪と賠償を盛り込んだ和解が成立しました。これは、差別や偏見、社会復帰など残された問題を解決する「新しい歴史の一歩」と評価されました。

場所
場所

岡山県瀬戸内市邑久町虫明

NDC分類
NDC分類

494.83

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http://digioka.libnet.pref.okayama.jp/detail-jp/id/kyo/M2004090621144037676