郷土情報ネットワーク > 岩倉寺岩倉寺岩倉寺- 1カテゴリ情報郷土情報ネットワーク > 郷土情報ネットワーク > 01 郷土情報募集事業(県民のみなさまから寄せられた郷土情報) > 丸谷憲二 さま 登録情報 > 会陽って何だろう > 会陽関係寺社 > 美作地区郷土情報ネットワーク > 郷土情報ネットワーク > 01 郷土情報募集事業(県民のみなさまから寄せられた郷土情報) > 丸谷憲二 さま 登録情報 > 会陽って何だろう > 会陽関係寺社 > 美作地区TweetTweetメタデータタイトルタイトル岩倉寺(イワクラジ)郷土情報の種類郷土情報の種類ホームページ作成者または作成団体作成者または作成団体丸谷 憲二(マルタニケンジ)岡山県立図書館(オカヤマケンリツトショカン)公開者または公開団体公開者または公開団体岡山県立図書館(オカヤマケンリツトショカン)郷土情報の概要郷土情報の概要【説明】正式には、「宝倉山観音院岩倉寺」 宗派:真言宗 開基:役之行者 ※寺伝・縁起等による 本尊:十一面観音【当寺の会陽】起源等: 会陽は、江戸時代の文化・文政のころから始まったといわれる。 現在の 会陽: 毎年2月9日の夜、裏山の観音堂で行われる。 まず、修正会の祈願が行われ、次に、午後8時半から本堂前広場で紅白の福餅まきがある。そして、本堂裏の滝つぼで身を清めた裸群が入場し、午後9時半に、ご福窓から陰陽2本のシンギが投下され、奪い合いが始まる。 なお、平成10(1998)年は、2月14日夜、約50人が参加して実施された。 その他: 西大寺でいう「くしご」をここでは、「ごぐし」と呼んでいる。続きを見る【参考情報】南北朝時代、正平年間(1346から1370年)に赤松氏と山名氏との争いによって焼失した。その後、再建されたものが元亀年間(1570から1573年)に再び焼失した。現在のものは、天正年間(1573から1592年)に再建されたものという。 なお、寺内には、名前の由来となった岩倉がある。続きを閉じる場所場所岡山県英田郡西粟倉村長尾NDC分類NDC分類386:年中行事.祭礼参考情報源または引用情報源参考情報源または引用情報源『英田郡誌全』 英田郡教育会 (1923年)、『岡山の会陽』 三浦叶著 (1985年)、『裸群激しい争奪戦 安養寺と岩倉寺で会陽』 山陽新聞 1998年2月16日対象年齢対象年齢全年齢, 高校生郷土情報の言語郷土情報の言語jpnメタデータ作成年月日メタデータ作成年月日2006-06メタデータ公開年月日メタデータ公開年月日2011-02-27このページのURLこのページのURLhttp://digioka.libnet.pref.okayama.jp/detail-jp/id/kyo/M2006060715074152597関連するコンテンツ郷土情報ネットワーク続きはこちら >レファレンスデータベース続きはこちら >