郷土情報ネットワーク > 小山益太小山益太画像数:1枚ボタン説明小山益太- 1カテゴリ情報郷土情報ネットワーク > 郷土情報ネットワーク > 01 郷土情報募集事業(県民のみなさまから寄せられた郷土情報) > 脇本篤子 さま 登録情報 > 津島の名刹「妙善寺」 > その他の写真郷土情報ネットワーク > 郷土情報ネットワーク > 01 郷土情報募集事業(県民のみなさまから寄せられた郷土情報) > 脇本篤子 さま 登録情報 > 津島の名刹「妙善寺」 > その他の写真TweetTweetメタデータタイトルタイトル小山益太(コヤママスタ)郷土情報の種類郷土情報の種類画像作成者または作成団体作成者または作成団体脇本 篤子(ワキモトアツコ)公開者または公開団体公開者または公開団体岡山県立図書館(オカヤマケンリツトショカン)郷土情報の概要郷土情報の概要室町時代、足利義政の妻日野富子が移り住んだという赤磐市稗田に、代々名主を務める小山家があった。 不受不施信仰の篤い当主の子どもとして文久元(1861)年に生まれた益太(号は、楽山)は、園芸に強い関心を持っていた。 そして、彼は、農業だけでなく、この地で果樹栽培を可能にし、農民の暮らしを楽にさせたいと、稗田周辺の土地が果樹栽培に不適であったにもかかわらず、裏山を開墾し果樹を植え、創意工夫を重ね、ついに桃の新品種「金桃」「六水」を生み出した。 やがて、研究熱心な彼の評判は、大原孫三郎の知るところとなり、大正3(1914)年、大原が創設した財団法人大原奨農会農業研究所(現岡山大学資源生物科学研究所)の園芸部門の指導者として、招かれることとなる。 研究所での彼は、向山果樹園にて果樹栽培の模範を示しただけでなく、肥料や消毒にも工夫を重ねて、「水密桃」の栽培に成功し、今日の果物王国岡山の礎を築いた。 大正13(1924)年62歳で没。場所場所岡山県赤磐市稗田NDC分類NDC分類188:各宗参考情報源または引用情報源参考情報源または引用情報源『財団法人大原農業研究所史』 西門義一著 大原奨農会発行 (1961年) 、『広報あかいわ』 平成17年12月号 P.13対象年齢対象年齢全年齢, 高校生郷土情報の言語郷土情報の言語jpnメタデータ作成年月日メタデータ作成年月日2006-09メタデータ公開年月日メタデータ公開年月日2011-02-27メタデータ更新年月日メタデータ更新年月日2016-11-30このページのURLこのページのURLhttp://digioka.libnet.pref.okayama.jp/detail-jp/id/kyo/M2006091612211154285関連するコンテンツ郷土情報ネットワーク続きはこちら >レファレンスデータベース続きはこちら >