【邑久光明園恩賜会館、旧裳掛小・中学校第三分校、奉安殿、物資運搬斜路、瀬溝桟橋】 - デジタル岡山大百科 | 郷土情報ネットワーク
	【邑久光明園恩賜会館、旧裳掛小・中学校第三分校、奉安殿、物資運搬斜路、瀬溝桟橋】 - デジタル岡山大百科 | 郷土情報ネットワーク

郷土情報ネットワーク > 邑久光明園恩賜会館、旧裳掛小・中学校第三分校、奉安殿、物資運搬斜路、瀬溝桟橋

邑久光明園恩賜会館、旧裳掛小・中学校第三分校、奉安殿、物資運搬斜路、瀬溝桟橋

カテゴリ情報

カテゴリ情報
郷土情報ネットワーク > 郷土情報ネットワーク > 10 岡山県(行政資料・岡山県のPRビデオなど) > おかやまの文化財

メタデータ

タイトル
タイトル

邑久光明園恩賜会館、旧裳掛小・中学校第三分校、奉安殿、物資運搬斜路、瀬溝桟橋

(オクコウミョウエンオンシカイカン キュウモカケショウチュウガッコウダイサンブンコウ ホウアンデン ブッシウンパンシャロ セミゾサンバシ)

郷土情報の種類
郷土情報の種類

文字

作成者または作成団体
作成者または作成団体

岡山県教育庁文化財課

(オカヤマケンキョウイクチョウブンカザイカ)

公開者または公開団体
公開者または公開団体

岡山県教育庁文化財課

(オカヤマケンキョウイクチョウブンカザイカ)

郷土情報の概要
郷土情報の概要

邑久光明園は、明治42年(1909)に大阪府に設立されたが、昭和9年(1934)の室戸台風により壊滅したため長島西部に再建されたハンセン病療養施設。恩賜会館は、昭和16年(1941)建設、平成15年(2003)に改修される。半切妻造り妻入りの平屋建てで、正面は中央車寄せ上部の壁面を突出して三連アーチ窓を配するなど特徴的な造形表現とする。敷地中央部に建つ当施設の象徴的存在である。旧裳掛小・中学校第三分校は、木尾湾東側に面しており、木造平屋建て切妻造りセメント瓦葺きの校舎が残る。昭和14年(1939)建設、平成14年(2002)に改修されているが、療養施設附属の学校建設の貴重な遺構である。奉安殿は、昭和18年(1943)敷地北部の高台に建設され、平成21年(2009)に改修されている。鉄筋コンクリート造り切妻造り銅板葺きで、棟上に千木(ちぎ)と堅(かつ)魚(お)木(ぎ)を載せ、外壁の四隅に円柱を表す。類例の少ない療養施設附属のものである。物資運搬斜路は、昭和13年(1938)に敷地南部の波止場に建設された。中央部高台の施設に物資を引き上げるためのコンクリート製のトロッコ軌道で、昭和初期の鋼索式傾斜地輸送設備として貴重な遺構である。瀬溝桟橋は、昭和24年(1949)に施設西部の官舎区の波止場にある石造りの埠頭で、昭和46年(1971)と平成16年(2004)に改修されている。島と本土を結んだ職員用の船着場で、昭和期における療養施設の構成を伝えている。

場所
場所

岡山県瀬戸内市邑久町虫明字長島

NDC分類
NDC分類

709:芸術政策.文化財

その他のメタデータを表示
このページのURL
このページのURL

http://digioka.libnet.pref.okayama.jp/detail-jp/id/kyo/M2022030313323715225