回答内容
寺坂五夫「美作高円史」p.57「一.登山道筋」の項に「高円村より七曲りを経て山腹横路を通り登山するを本口と言なり。」とあり、この道が菩提寺への本参道であったことがわかる。丁石については、当館の資料で判明しなかったため、町の文化財保護委員にたずねたところ、地神の石碑そばの丁石を「二十五丁石」といい、さらに下ったところにある丁石を「三十一丁石」と呼ばれているとのこと。 二十五丁石の方は、表面の磨耗が激しく銘文が読めなくなっているが、三十一丁石の方は、西面に「三十一丁」、東面に「東 明治三十五年一月」、南面に「北 菩提寺」と彫られており、下段に寄進者4名の名前が見られる。また、高円の道標については、奈義町文化財保護委員会「奈義・野の佛たち」奈義町教育委員会のp.57「高円の元禄道標」の項に、写真入で寸法、銘文などの解説が載っている。
回答館・回答団体
奈義町立図書館