レファレンスデータベース > 江戸後期に備後に徳山藩があったか。江戸後期に備後に徳山藩があったか。質問内容早乙女貢の「志士の肖像」(下)P199に備後徳山藩士255人の記述があるが、江戸後期に備後に徳山藩があったのか?知りたい。回答内容江戸時代、周防の国都濃(つの)郡徳山を中心に郡の南部と阿武(あぶ)郡の一部二ヶ村を領域とする萩藩(長州藩)の 支藩の一。毛利輝元の第二子就隆(なりたか)が藩祖。1617慶長検知高三万一四〇〇余石を内証分知され、三四年幕府の公認により藩に列した。1650居を下松(くだまつ)から野上(のがみ)に移し、野上を徳山と改称してから徳山藩の称がある。1871年(明治四)六月、廃藩の直前に山口藩に合併した。回答館・回答団体岡山市立図書館カテゴリ情報レファレンスデータベース > レファレンス事例データ > 岡山市立中央図書館 > ~2005年処理事例レファレンスデータベース > レファレンス事例データ > 岡山市立中央図書館 > ~2005年処理事例メタデータレファレンス事例タイトルレファレンス事例タイトル江戸後期に備後に徳山藩があったか。(エドコウキニビンゴニトクヤマハンガアッタカ)回答した図書館または団体回答した図書館または団体岡山市立図書館(オカヤマシリツトショカン)情報源(回答)情報源(回答)日本史資料総覧 『日本史大事典』5、平凡社1993、p184場所場所山口県周南市NDC分類NDC分類217.7:山口県時代時代江戸時代(黒船来航前)利用対象者利用対象者全年齢検索キーワード検索キーワード徳山藩回答日回答日1996-01-09公開日公開日1996-01-09このページのURLこのページのURLhttp://digioka.libnet.pref.okayama.jp/detail-jp/id/ref/M2004070114454713293関連するコンテンツ郷土情報ネットワーク続きはこちら >レファレンスデータベース続きはこちら >