回答内容
1860年(万延元年)に、幕府の軍艦「咸臨丸」は「日米修好通商条約」の批准書交換のための遣米使節迎艦「ポーハンタン号」の護衛艦として渡米した。乗組員は、軍艦奉行木村摂津守、船将勝海舟、ブルック大尉など。「万延元年1月13日(陽暦1860年2月4日)に品川を出帆」「万延元年1月19日(陽暦1860年2月10日)に浦賀港を出港」。 万延元年2月26日(陽暦1860年3月17日)にサンフランシスコ到着咸臨丸は遣米使節が乗船したポーハタン号より12日早くサンフランシスコに到着している。咸臨丸が遣米使節と別れ、一足先に帰路につきサンフランシスコを離れたのは、閏3月18日(陽暦5月8日)で、5月5日(陽暦6月23日)に浦賀に到着している。遣米使節一行は、サンフランシスコから南下しパナマへ行き、地峡横断鉄道で大西洋岸へ、さらに北上してワシントンへ向かった。ブキャナン大統領と会見し、条約批准書を交換した。その後アメリカに1ヶ月余滞在、ニューヨークからアフリカのコンゴへ。喜望峰、ジャワ、香港を経由して日本に帰ったのは万延元年9月27日(1860年11月9日)だった。
回答館・回答団体
岡山県立図書館