回答内容
神島及び笠岡の史誌、観光案内などに資料が見いだせた。それによれば神島にある八十八ヶ所の呼称は諸資料によって異なり、神島八十八ヶ所、神島四国八十八ヶ所、神島霊場八十八ヶ所、神島四国霊場などと呼ばれている。神島の八十八ヶ所の成立は1745(延享2)年の「神島四国巡礼記」及び1789(寛政元)年の「今田慧弦五輪塔」の刻文に詳しく、『神島巡遊案内』『神島史誌』『ふるさとを語ろう』『神島八十八ヶ所 ~拓本散策~』に掲載されている。それによれば、今田慧弦(俗名卯兵衛)という人が、同じ志を持つ神島の十郎兵衛とともに、1743(寛保3)年春から巡礼地に安置する石仏の作成をすすめ、翌1744(永享元)年に完成させたという。また『神島八十八ヵ所めぐり』『神島八十八ヵ所 観光散策路』『ふるさとを語ろう』『神島史誌』では今田慧弦は肉親の死を契機に四国巡礼を行い、やがて神島を四国にみたてた霊場建設を発起したという。彼は前述の池田重(十)郎兵衛と再度四国霊場を巡り、各札所の土を持ち帰る。その土を神島の各札所に埋め、その上に石仏を置いたという。整備には1740(元文5)年~1744(永享元)年の5年間を費やしたと伝えられている。遍路などの習俗は『ふるさとを語ろう』『神島回顧』などに記述があり、八十八ヶ所の行程は俗に「七里八丁」といわれ、全行程で約29㎞、通常一泊二日程度の巡礼である。現在も多くの人々が巡礼に訪れており、『神島八十八ヵ所めぐり』『神島八十八ヵ所 観光散策路』によれば毎月の旧暦21日の縁日には神島へんろ会館で法要が営まれ、接待も行われている。なお概説的なものとして霊場を検索すると『備中の霊場めぐり』の中に本霊場が見いだせる他、八十八ヵ所で検索した『地場大師八十八ヵ所調査報告書』の考察からは県内でも有数の歴史をもつ霊場であることもわかる。
回答館・回答団体
岡山県立図書館