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細尾城について

質問内容

細尾城の城主、家臣等について知りたい。

回答内容

蔵書をあたった限りでは細尾城の城主やその家臣に関する網羅的な記述は見つからなかったが、複数の文献に城主として福田氏の名が出てくる。 「東作誌」中、勝北郡梶並庄西谷皆木村(現在の奈義町皆木地区)の項によれば、福田助四郎盛昌(一説に助八郎盛佐)が細尾城主のとき、尼子の将三好安芸守に攻め落とされたとあった。 なお助四郎盛昌については、「東作誌」北條郡上横野村の項に、福田氏は旧備後国芦田郡福田村相方(サカタ)の城主で天文年間に宮内村細尾城主になり、後に次男孫八に譲った後、年本城に入り、天文13年尼子晴久に降ったとある。 また「美作太平記」では天文2年、尼子の将三好安芸守が、美作菅家(菅原氏)の一族が立てこもる細尾城を攻めたとき、福田孫八(盛昌の子)が宮内(現奈義町宮内)の小寺というところに逃れたとある。 (「東作誌」にも同様の記述があるが、ここでは天正2年となっている。) 福田孫八の名はいくつかの文献に出てくるが、蔵書をあたった限りでは美作菅家一族との関わりは定かでない。 また以上の点について文献ごとに年代の異同が見られるが、「私説美作略史」では福田孫八の細尾城入城は菅家一族の篭城とは関係なく、天文2年の落城後に入城し、天文13年に尼子氏に降った可能性が指摘されている。

回答館・回答団体

奈義町立図書館

カテゴリ情報

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細尾城について

(ホソオジョウニツイテ)

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回答した図書館
または団体

奈義町立図書館

(ナギチョウリツトショカン)

情報源(回答)
情報源(回答)

竹内治一著『私説美作略史』茨木,竹内治一,1979,1153p. 参照はp240-242. 正木 輝雄〔ほか〕著『新訂作陽誌』6(東作誌3巻),落合町(岡山県),作陽新報社,1975,565p. 参照はp257. 寺阪五夫編『美作古城史』3 〔津山〕,寺阪五夫,1977,855p

場所
場所

岡山県勝田郡奈義町宮内

NDC分類
NDC分類

217:中国地方

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