回答内容
姫路城下出身の歌人・国文学者・眼科医、号は南天荘。1866(慶応2)年12月21日~1941(昭和16)年8月15日。漢学教師松岡操の三男として生まれ、12才の時医師井上碩平の養子となる。歌人国富重比古に学び、香川景樹の門下松波資之に就いた。東京大学医学部で学んだ後、岡山の第三高等学校医学部(現岡山大学医学部の前身)の眼科学教授となった。1900(明治33)年には、歌集『井上通泰詠草第一集』を発行した。辞職後は東京で開業し、森鴎外らと文芸活動を展開、山縣有朋の発起で歌会「常磐会」を結成した。1907(明治40)年には宮内省御歌所勅任寄人、1920(大正9)年宮中顧問官、1937(昭和12)年帝国芸術院会員を歴任した。実弟に民俗学者の柳田國男や日本画家の松岡映丘らがいる。主な著作に『井上通泰文集』(島津書房 1995年)、『桂園叢書』全3巻(渡辺宗三郎 1892-1897年)、『南天荘歌話』(日本古典全集刊行会 1926年)、『南天荘雜筆』(春陽堂 1930年)、『播磨国風土記新考』(大岡山書店 1943年)、『藤井高尚伝』(1910年)があるほか、『井上通泰上代関係著作集』全14巻(秀英書房 1986年)がある。
回答館・回答団体
岡山県立図書館