回答内容
哲学者。1864(元治1)年8月7日~1900(明治33)年11月2日。岡山城下(現岡山市)に木全家の三男として生まれ、15歳のとき母方大西家を継ぐ。1881(明治14)年同志社普通科卒業後、同神学科に入学。1885(明治18)年東京大学を卒業、続いて大学院生となり「良心起原論」を研究する。1891(明治24)年から東京専門学校で哲学・倫理学を教えた。1898(明治31)年、ドイツへ留学するが体調を崩し、翌年研究を中断して帰国する。帰国後は京都、岡山などで療養したが岡山で没する。岡山市御成町には坪内逍遥の筆による「操山大西祝先生終焉地」の碑が建立されている。著作、遺稿などは門下生によって『大西博士全集』(全7巻 警醒社書店 1904-1909年))として刊行された。ほかに『大西祝・幾子書簡集』(教文館 1993年)、『大西祝 人生読本』(第一書房 1940年)がある。
回答館・回答団体
岡山県立図書館