デジタル岡山大百科 | 岡山県立図書館

レファレンスデータベース > 小早川秀秋の死について

小早川秀秋の死について

質問内容

小早川秀秋の死因は

回答内容

1602-10-18に死去だが、生前、狂気の振る舞いや乱行が多く、世間に向けては疱瘡にかかって死んだと披露されたが、普通の死ではなかった、とも言われ、真相は明らかではない。①鷹狩の時、一人の百姓を捕らえ、刀でその体を切り刻んだ。そこで百姓は怒り、秀秋の陰嚢を蹴り上げ、秀秋は即死。②取り調べもせず、山伏の両手を切り落とし、それに怒った山伏が、秀秋を踏み殺した。③児小姓を手討ちにしようとしたが、返り討ちにあった。④殺生禁断の場所である、西大寺観音院の本堂の前を流れる吉井川で、鯉や鮒を捕らえ、その帰途、橋の上で落馬して死んだ。など諸説ある。

回答館・回答団体

岡山市立中央図書館

カテゴリ情報

カテゴリ情報レファレンスデータベースレファレンス事例データ岡山市立中央図書館

メタデータ

レファレンス事例
タイトル
レファレンス事例
タイトル

小早川秀秋の死について

(コバヤカワヒデアキノシニツイテ)

回答した図書館または団体
回答した図書館
または団体

岡山市立中央図書館

(オカヤマシリツチュウオウトショカン)

情報源(回答)
情報源(回答)

「新釈備前軍記」p328-330、「岡山市史 第二巻」p1694-1695

場所
場所

岡山県

その他のメタデータを表示
このページのURL
このページのURL

http://digioka.libnet.pref.okayama.jp/detail-jp/id/ref/M2008080117273634963