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ソテツが日本の庭園樹として植えられるようになった時期について
質問内容
回答内容
資料①には、「今少し蘇鉄について記してみると、この植栽を庭園に入れたのは室町時代であり、そのエキゾチックな姿を非常に珍重したのである。すなわち、応永の頃に山口の大内盛見が京都の邸に大きい池泉庭園を作り、この庭園に始めて蘇鉄が植えられたとしているが、大内氏は貿易を盛んに行い、かの雪舟禅師なども大内氏の貿易に便乗して中国へ渡つたほどであるから、蘇鉄が貿易船によつて渡来し大内氏の手に入つた事は当然想像できるところである。この珍しい蘇鉄が時代を経て桃山時代になると各庭園の植栽として重要視されたのは当然で、当代の庭園では、(中略)諸庭園に用いられたのである。」との記述がある。
資料②には、足利義政の室町殿で1460年に植栽された植物の一覧に蘇木(ソテツ)が挙げられており、「ビャクシン・マツ・ヒノキ・カヤ?などの針葉樹がやはり多いが、ザクロ・ヒイラギ・ソテツというようなこれまで見られなかった植物も出現している。」との記述がる。また、「武家邸宅の庭園の例としては、『蔭涼軒日録』の長享二年(一四八八)九月十六日の条に大内邸について、興文首座話して云う。大内の庭にそてつと云う草あり。高麗より来たる。かぶより葉出でて、一間にはばかるほどなり。ぜんまいの大なるような者なり。とある。大内氏は山陽・山陰の西部一帯を支配していた守護大名だったから、交易を通して南方産のソテツを入手したのだろう。ソテツは先に述べたように、すでに室町前期に義政の室町殿に植えられているが、人びとが珍しがっているのは広まっていなかったためだろう。広まるまでソテツはさまざまな経路で入って来たのではないだろうか。」との記述もある。
資料③には、桃山時代の醍醐寺三宝院庭園について「随所に使われている蘇鉄は、桃山時代から江戸時代にかけて流行し、異国情緒を漂わせ二条城二之丸庭園や本願寺大書院庭園などにも見られる。」との記述がある。
回答館・回答団体
岡山県立図書館
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