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閑谷三奇士
質問内容
回答内容
資料①『増訂 閑谷学校史』、資料②『閑谷学校ゆかりの人々』によると、閑谷三奇士は閑谷三烈士とも呼ばれ、明治期に閑谷黌を再興した西毅一(薇山)の教え子である高見武夫(微笑)、福原林平(洞厳)、小西千吉(孤剣)の3人をさす。
いずれも閑谷黌初年度の入学生で、教師であった西毅一の尊皇思想・対中国思想の熱烈な信奉者であり、日清戦争の直前に清国へ渡ったのちの明治27年(1894)に病死や捕らえられて刑死している。
資料③『三碑稿』は、西が詠んだ3人の碑稿と、それに対する牧巻次郎(放浪)、原邦三郎(大原孫三郎の義兄)、橋本卯太郎、田辺華(為三郎)といった西の教え子たちの感想をまとめた資料となっている。
資料④『西薇山先生と閑谷三烈士』には詳しい説明とともに、西の「三碑稿」もまとめて掲載されている。
吉崎志保子の論文、資料⑤「西毅一の中国への素志」には西の清国に対する思いと三奇士の関係、資料⑥「鷹取田一郎と閑谷三奇士 閑谷黌初年度の入学生」には三奇士と西を中心とした人間関係も詳しく紹介されている。
回答館・回答団体
岡山県立図書館
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