回答内容
『瀬戸内海事典』には、「瀬戸とは迫門(せと)、狭門(せと)、湍門(せと)で、海峡を意味し、瀬戸内海は海峡の内側の海をさしている」と記載がある。さらに、「瀬戸内海」の語は欧米人が呼んでいた「The Inland Sea」の翻訳語として明治初年ごろから用いられはじめたということや、瀬戸内海というまとまった海域概念が誕生したのは明治時代の後期であるという内容が書かれている。『角川日本地名大辞典;33;岡山県』では、「兵庫県明石と淡路島との間の明石海峡(明石の瀬戸)から西を内(うち)といい、瀬戸内の名称はこれに由来する」と記載されている。『日本大百科全書;13』では、「西端は早鞆ノ瀬戸(関門海峡東部)、南西端は速吸瀬戸(豊予海峡)、南東部は友ヶ島水道(紀淡海峡)と鳴門瀬戸(鳴門海峡)の狭隘な瀬戸によって外界に通じ、これら四瀬戸の内側の意をもって、瀬戸内あるいは瀬戸内海とよばれてきた」と記載されている。瀬戸内海研究の先駆者である小西和の『瀬戸内海論』には、以上の内容と同様と思われる記述が文語体で記されている。
回答館・回答団体
岡山県立図書館