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「待園坂田先生追慕之碑」について
質問内容
回答内容
①『岡山県歴史人物事典』によると、坂田待園は1835年(天保6)に美星町で生まれ、岡山県病院などで医師を勤めた蘭医であることがわかる。沙美海岸を開いたことでも有名で、門弟の藤田荒次郎医師が1939年(昭和14)に玉島の円通寺公園に「待園坂田先生追慕之碑」を建てた、という記載はあるが、碑についてそれ以上の説明はない。
②『玉島こぼれ話』には、「坂田待園先生の事」と題して、著者の坂田荒次郎と待園に関する詳細な記述がある。また、「当地方建碑の事」と題して、荒次郎が「私が御恩報じに坂田待園先生追憶碑を建てたい」と思ったことがきっかけで、碑の除幕式と待園の法事をいっしょにすることになったことが記載されている。(→この資料では碑命の「追慕」を「追憶」と表記している)碑文は柚木玉邨書いていると言う。
③『良寛さま史跡めぐり』や④『玉島の良寛遺跡案内』は碑の写真が掲載され、待園の説明がされているが、碑についての説明と思われる記載がない。
⑤『玉島今昔物語 下巻』は碑の写真のほか、「要旨」として待園の説明が文語体で記載されている。
回答館・回答団体
岡山県立図書館
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