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石川善右衛門(いしかわぜんえもん)について
質問内容
回答内容
・『岡山県歴史人物事典』(資料①)、『グラフおかやま』(1985年11月号)(資料②)によると、岡山藩の郡奉行・普請奉行。名は成一と言い、1607(慶長12)年備前国に生れた。池田光政に仕え1642(寛永19)年児島郡の郡奉行となり1648(慶安1)年まで務めた。その後、江戸で藩の仕事を務めていたが、1654(慶応3)年、岡山で大洪水があった時、救済のため児島郡に配属され、再び児島郡の郡奉行となった。木見の森池、福南山下の福林池や長尾の天王池など、1665(寛文5)年までの11年間で郡内多くの溜池を旱魃と水害に備えて築造、改修に努めた。1669(寛文9)年12月1日没。享年63歳。1806(文化3)年瑜伽大権現の境内に頌徳碑が建てられ、1910(明治43)年従四位を追贈された。
『岡山市史 全』(資料③)、『灘崎町史』(資料④)、『東児町史』(資料⑤)、『三百藩家臣人名事典 6』(資料⑥)にも上記と同様のことが書かれている。
・『倉敷市史 第7冊』(資料⑦)、『岡山県児島郡誌』(資料⑧)、には略歴の他、石川善右衛門成一之墓について書かれている。『吉備考古』(資料⑨)も石川善右衛門成一之墓について書かれている。
・善右衛門の伝記が書かれている『池水の恵』(資料⑩)には上記の他に頌徳碑や叙位の賞状の写真や年譜が収録されている。
回答館・回答団体
岡山県立図書館
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