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穴太衆
質問内容
回答内容
『石積は意志の積み重ね石積作法』中の石積ミニ用語集によると、「安土桃山時代に滋賀県、近江地方出身の石垣師の通称。彼らが積んだ石積を穴太積みと呼ぶ。」とある。
『城のつくり方図典』には、「安土城の石垣は、それまでの城郭石垣よりはるかに高い。また、初めて城の中心部をすべて石垣で築いた。その高大で膨大な量の石垣を築いた技術者が穴太衆と呼ばれた石工たちで、天台宗の総本山である比叡山延暦寺の麓(現在の大津市坂本穴太町付近)の出身者で、古くから寺院関係の石工を務めていたが、その高度な技術力を買われて、安土城の普請を任されたのである。その後、全国各地の大名の石垣普請に召し抱えられ、「穴太」は石工の代名詞ともなった。」とある。
また、穴太の歴史的考証に関しては『石垣普請』に書かれている。
回答館・回答団体
岡山県立図書館
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