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岡山孤児院の収容人数について
質問内容
回答内容
・『岡山県大百科事典』(資料①)の「岡山孤児院」の項には、「わが国で最初の本格的孤児院。1887年(明治20)石井十次によって岡山市門田屋敷に最初は孤児教育会の名で設立された。たちまち多くの孤児、窮児を預かり1906年(明治39)には院児数1200人、敷地3万9600㎡、建物80棟、職員は100人を超える規模となった。(中略)1926年(大正15)岡山孤児院の使命は終わったとして解散した。」とあるが、収容人数の推移は記載されていない。
・『岡山孤児院年報 明治42年度』(資料②)よると「明治24年10月濃尾大地震に際しては93人を37 8年日露役中には160人の児童を収容す 而して明治39年東北の大飢饉に遭遇するや其地方の孤貧児823人を入院せしめ一時は1200人の大家族となりたりしが再び其数を減じて現況に至る」と記載がある。(原書に句読点はない。引用は原書のとおり。)
・『現在の岡山孤児院』(資料③)には、「創立以来収容児数」の表があり明治20年から大正5年までの収容児数の記載がある。
・『岡山孤児院の全在院児と養護実践の動向』(資料④)には「年度別入退院児の推移」の表が収録されており、上記資料『現在の岡山孤児院』に掲載されている収容児数と「筆者統計」が比較されている。筆者統計は明治20年から大正15年までの入退院児数が記載されているほか、収容人数の増加や減少の要因が詳しく書かれている。この資料には「入院年度別の入院年齢の推移」や「入院年度別の道府県別状況」の表も収録されている。
・『日本社会福祉史』(資料⑤)には「“無制限収容”の原則から、1891年濃尾震災、1906年東北大凶作で罹災した子どもを次々保護し、収容人数は1891年に100人を超え、1906年に1195人に達した」とある。
回答館・回答団体
岡山県立図書館
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