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「那岐(なぎ)山」の用字について
質問内容
岡山県勝田郡奈義町と鳥取県八頭郡智頭町にまたがる那岐山(標高1,255m)について、万葉歌人平賀元義が、那岐山を歌った「奈義神山碑」(嘉永4[1851]年作)に、次のくだりがあり、現在の那岐山とは異なる「奈義山」の字が当てられている。
… 奈義神波天曽曽理高岐尊此奈義山能 …
…なぎのかみは あまそそり たかき たふとき この なぎのやまの…
近世から近代初頭、特に「奈義神山碑」がうたわれた時期に、ナギ山には主にどのような漢字が用いられていたか、知りたい。(古地図、古文献など)
回答内容
当館の蔵書を中心に、古文献を確認したところ、それぞれ次のような漢字が用いられていた。
1)『三代実録(日本三代実録)』貞観5(863)年5月28日:奈〓(ぎ〓は送の旁の部分)
『神祇志』1893年、『神祇志料』1927年:奈癸
2)『後醍醐天皇御製の歌』(製作年不詳/14世紀?):奈木
3)『大日本史』(1657年編纂開始~1906年完成)
第6 神祇志 美作国「官帳不載者」:奈義
4)『美作鏡(美作国鏡)』1852年:奈義
5)『美作太平記』成立年不詳(江戸時代後期?):名木
6)『白玉拾』江戸時代文化~天保年間:奈義、名木
7)『美作國神社資料』1920年:奈岐
8)その他 那岐、名義、諾など
1)『三代実録(日本三代実録)』貞観5(863)年5月28日:
「従五位下天石門別、奈〓、大佐々三神並叙従五位上」とあり、奈〓(ぎ〓は送の旁の部分)の字が用いられている。
2)後醍醐天皇御製の和歌:
『岡山県勝田郡志』及び『勝田郡誌』に後醍醐天皇の御製とされる歌(注1)「ふりさけて見れどはかれぬ高嶺かな蜘蛛にうつもる奈木の神山」が載っており、奈木の字を用いている。
※注1:『美作史跡名勝誌』p.99に「この歌は後醍醐帝の御製と言はれている。」とあり、また『美作高円史』p.76に、「…その御作のとき等は明かでない。」とあることから、調べた範囲では、後醍醐天皇御製であるとの言い伝えはあるが、文献的に証明されたものではなく、出典・制作時期等不明であった。
3)『大日本史』:
『大日本史』(1657年編纂開始~1906年完成)第6 神祇志中の美作国「官帳不載者」の項に、「奈義神社 癸一作義 在勝田郡 神社記云 在廣岡郷成松村今属勝北郡 相傳在村中奈義山上後移其山下」とあり、奈義または奈癸の字を当てている。
4)『美作鏡(美作国鏡)』
「從五位上奈義神社 廣岡奈義神社 廣岡郷奈義山に座す今は麓に遷し奉りて なき大明神 なみ大明神二社」とせり三代實録にみへて尊き御社なり」とあり、奈義の字が用いられている。
5)『美作太平記』:
『美作太平記』(成立年代不詳/江戸時代後期?)「三穂太郎母の事」に「爰に中國無双の高名有名木の山といふ…」とあり、名木の字が用いられている。
6)『白玉拾』:
豊田の庄の部p.233に「北は因州智頭郡に連なり、名木山の絶頂を国境とす。」、「高円村より登り、凡そ百丁に至る。峨々たる奈義山の麓にして…」、また、高円村の項p.246に「この村奈義の山御林山…」p.249に「名木の城、深山口中の尾崎に有り。」などとあり、奈義、名木の字が混在している。
7)『美作國神社資料』:
「村社 諾神社」の項に、由緒沿革「本社創始の年代は大古に属し今之れを知るに由なし 始め奈岐山上に鎮座ありて奈岐大明神と稱し奉れりしを…」とあり、奈岐の字が用いられている。
8)『角川日本地名大辞典』『日本地名語源辞典』『日本地名ルーツ辞典』:
『角川日本地名大辞典33岡山県』p.815や『日本地名語源辞典』p.187、『日本地名ルーツ辞典』p.725によれば、町名は那岐山に由来するとあり、『角川日本地名大辞典』や『日本歴史地名大系34岡山県』などによると「ナギ」の山名には、古来、名木、奈義、名義、諾などさまざまな漢字が当てられているとのこと。
回答館・回答団体
奈義町立図書館
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