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鶴島のキリシタン遺跡について
質問内容
回答内容
(1)『角川日本地名大辞典 33 岡山県』によると、「鶴島」の項目に下記のとおり記載がある。
「日生諸島の1つで、和気郡日生町沖にある。瀬戸内海国立公園に属する。…(中略)…江戸期には岡山藩鶴島守護役の藩士間の個人所有の無人島であったが、明治2年明治新政府のキリスト教弾圧によって捕らえられた長崎浦上の切支丹のうち117人が岡山藩に預けられ、同3年9月この島に送られた。明治6年に信教の自由が認められるまで過酷な開墾と改宗を強要され、その間に18人が死亡したが、その墓地は南東の丘陵斜面にあり自然石による墓石が残っている。」
(2)『岡山県大百科事典 下巻』(資料②)の「鶴島」の項目にも、資料①と同様の記載がある。
(3)『岡山市史 宗教教育編』(資料③)には、「浦上村切支丹の岡山藩預かり」という項目がある。
浦上切支丹の弾圧のほか、「冷酷きわまる日々の生活」として、浦川和三郎著『浦上切支丹史』(資料④)を元に、キリシタン宗徒を一時収容した岡山市浜野の松寿寺での生活、鶴島での生活について記載されている。そして、明治6年のキリスト教解禁にともなう信徒の解放、鶴島のキリシタン遺跡について、詳細な解説がなされている。鶴島のキリシタン遺跡については写真も掲載されている。
また、「岡山県の記録」として、下記のとおり、『岡山県治記事』の巻1(資料⑤)と首巻(資料⑥)を、紹介している。
「明治初年の岡山県の公文書を集めた謄写判刷りの『岡山県治記事』のなかに、“宅地”の部に入れて日生鶴島のキリシタン関係文書が五通おさめてあったので、とりあえず政治編の“廃藩置県と岡山”の章の中に一節をたててその全文を載せておいた。五通とも浦上異宗徒の手によって行なうた鶴島開墾について、地方庁と本省との間を往復した文書であって、流人の島の生活内容には触れていない。その後同じ『岡山県治記事』の首巻75ページにつぎの記事のあるのを発見した。この文書は簡単であるが、浦上村切支丹宗徒を岡山に預かってから帰還させるまでの経過を記述したもので、地元の記録としては重要な内容をもつものである。」
(4)(3)に挙げている『浦上切支丹史』(資料④)、『岡山県治記事 巻1』(資料⑤)、『岡山県治記事 首巻』(資料⑥)を見て、資料③の出典資料であることを確認できる。また、前述引用文にある『岡山市史 政治編』の「廃藩置県と岡山」の章(資料⑦)を確認できる。
(5)『岡山カトリック教会百年史』(資料⑧)には、「キリシタン流刑の地・鶴島」と題して、鶴島への流刑について記載がある。付記「鶴島に流された人々」には、岡山藩の「異宗門徒人員帳」が掲載されているほか、鶴島の絵図や、「浦上信徒収容の鶴島家屋間取図」、鶴島の写真などが掲載されている。さらに、「鶴島哀歌」の歌詞と楽譜も掲載されている。
(6)その他、以下7点の資料に記載がある。
・『日生町誌』(資料⑨)
・『備前キリシタン史 下』(資料⑩)
・『日生の観光とキリシタン』(資料⑪)
・『浦上四番崩れと岡山藩』(資料⑫)
・『鶴島の哀史』(資料⑬)
・『岡山(鶴島)流配地巡礼資料』(資料⑭)
・『岡山の島』(資料⑮)
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