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赤石希范
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赤石希范(あかし きはん)は江戸時代後期の医師。
名は退蔵、号は槐蔭。
天明5(1785)年、上道郡吉井村(現・岡山市東区吉井)の名主・徳田家に生まれ、和気郡北方村(現・備前市吉永町岩崎)の医師で叔父である赤石順治の養子となる。
文化6(1809)年に華岡青洲の門人となり外科を、京都の吉益南涯に内科を学ぶ。
文政4(1821)年、岡山藩の御目見医、弘化2(1845)年に御番医者となる。
弘化4(1847)年8月29日没。
資料として以下がある。
資料①『岡山県歴史人物事典』 参照は、p.9
資料②『備作医人伝』 参照は、p.6-8(ただし明石希範として)
資料③『和気の医療史 通史編』 参照は、p.111,116-122
資料④『和気の医療史 資料編』 参照は、p.196-204(赤石退蔵奉公書の項)
資料⑤『華岡青洲先生及其外科』 参照は、p.187-188,487(解説および門人録。ただし解説では生年を寛政6(1794)年とする)
資料⑥『岡山の医学』 参照は、p.21
資料⑦また、「慶応義塾大学学術情報リポリトジ」には赤石希范が序文を書いた「乳巖圖」(http://koara-a.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/detail.php?koara_id=50_F_22_016_000)が公開されている。
回答館・回答団体
岡山県立図書館
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