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小原城・小原孫次郎について
質問内容
回答内容
『美作古城史』では、P225、山王山城の欄に「播州赤松氏の一族小原孫次郎入道信明在職中、康安元年辛丑七月山名時氏のために落城したと伝えられ」「常時は小原の城と伝えられ」とある。小原氏については「山王山城主小原氏に就いては、その後裔のものが古町にあったが、現在絶家となり」とある。
『美作鏡抄』[『吉備群書集成第二輯』収録(p244)]には、「【小原城】大原郷古町村にあり。正平十六年朝敵小原孫次郎入道籠りしが、官軍山名伊豆守時氏に降参せし事、太平記に見えたり。」とある。
また、『作州記』[『吉備群書集成第二輯』収録(P16~17)]には「小原の城 大野一族」「尾崎村山王山城 新見弾正少弼宗教」とある。
『東作誌』(『新訂作陽誌七 東作誌四』p304)には小原庄尾崎村の箇所に、「山王山古城 慶安年小原孫次郎入道信明居」「義政より賜之此時小原城と號す宇野中務大夫家貞居永徳三年卒」とある。
「太平記」(『新編日本古典文学全集57 太平記④』p224~225)を見ると、「小原
孫次郎入道が小原の城」とあり註に「大原町古町にあった山王山城(のち小原城)。」とある。
『美作国の山城』(p223~224)には、美作市古町の山城として「三王山城・山王山城」としており、城史に上記のことがくわしい。
回答館・回答団体
奈義町立図書館
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