回答内容
『航薇日記』は、明治2年、幕末の旗本で、明治になってからはジャーナリストとして活躍した成島柳北が、妻の姉の嫁ぎ先である備中妹尾(現岡山市南区妹尾)を訪れた際の紀行文。柳北の創刊した雑誌「花月新誌」に掲載された。「花月新誌」の複製版(ゆまに書房,1984年)で確認したところ、「借飯魚」の左に「まゝかり」とルビを振っている。資料②は、ままかりの漢字標記について言及、(1)「鯯」(2)「魱」(3)「魚制」の漢字表記を挙げている。(1)、(2)については、資料③に同様な内容がある。資料④には、(1)、(2)は確認できるが、読みの記載はなく、字義は「このしろ」である。資料①に、江戸時代の献立に記載された例が、5件挙げられているが、いずれも標記は「ままかり」である。ほかに資料⑤から⑦の各項目には、それぞれ「飯借り」「ままかり」「ママカリ」と表記されている。参照したいずれの資料にも「正式な表記」に関する記述は確認できなかった。また、資料⑧では、「この味よい魚に飯借魚の文字を当てたのは柳北の漢字好みからであろうが…。柳北は漁夫から聞いたまま、ママカリを気易い気持ちで飯借魚と書いたのであろう…。」としている。
回答館・回答団体
岡山県立図書館