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野村小三郎
質問内容
回答内容
資料①『岡山県歴史人物事典』に「野村小二郎」の項目があり、資料②を引用文献としている。資料②には「野村小二郎:東中山下、森下龍三と一緒に、香川に従って仏蘭西に行き、この地にとどまって勉学、明治九年二十三歳で巴里に歿」とある(岡長平(1890-1970)執筆)。
資料③『池田家文庫マイクロ版資料目録』に「野村藤右衛門僉議書」があり、「倅:野村小三郎」とある。
<追記>2003年4月13日の「山陽新聞」に「旧岡山藩士の墓、仏にあった 明治初期に留学、病没 現地邦人ら尽力、存続へ」の見出しで、関係記事が報じられた。また、『設立準備会会誌:日仏野村小三郎学会』が1号から17号まで刊行され、野村小三郎研究がなされている。なお、その1号において、同会理事の日笠俊男氏は、『岡山県歴史人物事典』の「野村小二郎」が誤植である旨を指摘している。
回答館・回答団体
岡山県立図書館
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