回答内容
過去の県章を見てみると、大正8年(1919)に制定の「鈴」を模した県章があったが、故三木行治知事の「ブタが気絶しているようだね」の一言がきっかけで人気がなくなり、だんだん使われなくなった。その後は県職員章が県章として準用されていた。また、それまで正式な手続きによって制定した県旗もなかったため、国民体育大会に出場するたびに違う旗を使用したり、昭和37年(1962)の岡山国体からは赤・青・緑の三色旗で急場をしのいだりしていた。現在の県章は昭和42年(1967)、地方自治法施行20周年を記念して県民および県出身者の作品786点の中から選ばれた。決定した図案(岡山市のデザイナー伴介隆さんの作品)は「岡」の文字を図案化し、県民の一致団結を中心に集め、岡山県の将来の飛躍を力強く表したものとなっている。こうして決定した県章は「県公報 告示第883号」(昭和42年(1967)11月22日)で告示され、同年11月29日の地方自治法施行20周年記念式典で披露された。同時に県旗も「地色をナス紺色とし県章を金色(略式の場合は白抜き)とする」と定められた。(参考)「真金倶楽部」№2 URL:http://www.libnet.pref.okayama.jp/service/kyodo/makaneweb/makane02.htm
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岡山県立図書館