レファレンスデータベース > 倉敷市の旧川西町40番地にあった診療所について
倉敷市の旧川西町40番地にあった診療所について
質問内容
倉敷市の旧川西町40番地にあった診療所について資料はあるか。
回答内容
"昭和40年代初め以前の『住宅地図』により、「丹正病院」のことと推測する。住宅地図以外では、『倉敷市の手引き』に広告が掲載されているものを確認。
・『倉敷市住宅案内図』(政文社) 昭和40年前後以前(最も古いと思われるもの)
P.4 川西町40番地 「丹正婦人科医院」
P.5 稲荷町3-33 「丹正」 この道を隔てた北が、「日下牧場」→「日下産業」になる。
(山陽新聞S44.12.9 立候補者一覧より丹正巌の住所を確認、著書の発行所丹正博士激励会と同じ)
・『倉敷市住宅案内図』(弘報社) 昭和41年以前
P.9 川西町40番地 「丹正病院診療所」
P.15 稲荷町3-33 「丹正病院 TEL22-1185」
・『倉敷地区住宅案内図』(弘報社) 昭和43年
P.19 川西町40番地 「丹正病院診療所」
P.31 稲荷町3-33 「丹正病院」
・『ゼンリンの住宅地図 倉敷市№1』 昭和54年
P.96 川西町40番地 「千成大衆割烹」
P.96 稲荷町3-33 「産婦人科丹正病院」、「丹正」(住宅部分)
・その後の『ゼンリン住宅地図』
川西町40番地は、現在の川西町9-11-14、該当地は「ホワイトイン倉敷」と「しちりん焼さくら亭」の間。
稲荷町3-33は、住宅部分のみが残り、「丹正」或いは「丹正(女性名)」を2002年まで確認。
現在は、稲荷町7-3で、該当地は「複数の個人住宅」となっている。
もともと川西町40番地に病院が、稲荷町3-33に自宅があり、病院が手狭になってきたので自宅に隣接して新病院を新設したのではと推測しますが定かではありません。その後、丹正氏の死去により病院部分を売り払い、さらに家族の死亡か転居により自宅も売り払ったのではないかと推測します。
・『倉敷市の手引き 昭和43年版』(倉敷新聞社、昭和43年)
P.79 病院広告(院長、副院長名ほか) 所在地は稲荷町
"
回答館・回答団体
倉敷市立中央図書館
カテゴリ情報
![]() | レファレンスデータベース > レファレンス事例データ > 倉敷市立中央図書館 |
---|