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九州諸藩の参勤交代で船を使った経路
質問内容
回答内容
鹿児島県の歴史や参勤交代について書かれている資料で記述を探したところ、以下の資料に鹿児島藩の参勤交代の経路に関する記述が見られた。
①『鹿児島県の歴史』には江戸前期に薩摩半島西岸または日向細島と大坂の間は海路を使っていたが、中期以降あまり使われなくなったことが書いてある。また、参勤交代で海路を使ったコースが図示されている。陸路については、山陽道・九州路を往復したとの記載がある。
②『参勤交代』には、参勤交代で海路を使った場合の、出船した場所名が載っている。また、天草灘や玄界灘を経由した九州西廻りのコースが日向細島から出る東廻りのコースよりも多く利用されたとある。陸路については不知火海に入って松橋で上陸するコースについて記載があり、幕末期には日田街道、唐津街道を経由したコースもあったことが書かれている。
③『参勤交代と大名行列』には①と②と同趣旨の説明の他、出港のときには、約50艘の大船団だったということが書かれている。鹿児島藩の参勤交代のルートを地図上に示したもの、鹿児島藩が使用した関船の図や、薩摩の街道略図などの資料が多数掲載されている。
④『鹿児島・対馬調査報告集』の中に「十七世紀、鹿児島藩の参勤交代路に関する覚書」という論文が収録されており、②の資料を引用したあと、『鹿児島県史料』の「旧記雑録」の記載から、九州の経路を表にしたものを載せている。出帆した日付が多く記入されている。
回答館・回答団体
岡山県立図書館
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