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大久保利通暗殺時の馬車
質問内容
回答内容
・①によると、紀尾井坂事件当時大久保利通が乗車していた馬車は「英国製の高級品といわれ、長さ340センチ、幅165センチ、高さ185センチ」であったと記載されている。②は昭和43(1968)年に開催された「おかやま百年展」の図録であり、その中に展示された大久保利通の馬車の写真が掲載されている。また、③では五流尊瀧院に保管されている馬車を撮影した写真が掲載されている。④には馬車の写真の解説として「明治の高官が愛用した馬車(倉敷市尊瀧院所蔵大久保利通愛用)」とある。⑤は、紀尾井坂事件当時の大久保利通の最期を検証するため、五流尊瀧院の馬車を調査してその状態をまとめている。馬車を見た印象として「百数十年前の馬車だから古びているのは仕方がないものの、それにしても潚洒である。」、色については「雉色だった。」と記述している。
・③によると、馬車は紀尾井町事件以降高輪の大久保家別邸にあったお宮で保管されていたが、昭和16(1941)年に岡山県倉敷市の五流尊龍院の五流会館に移され保管されている。馬車が岡山で保管されている理由については、同書によると、大久保家に出入りのある比丘尼が同院の弟子であった縁で、同家より寄進され、永代供養されたことが記述されている。また当時の寄供状の一文も紹介され、院の沿革来歴が大いに関係したことも触れられている。
①では管長の宮家家が皇室につながりがあることで、大久保家から昭和16(1941)年に寄進されたと記述されている。
回答館・回答団体
岡山県立図書館
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