レファレンスデータベース > ガリ版印刷
ガリ版印刷
質問内容
回答内容
①には、「「ガリ版」とは、1894(明治27)年に堀井新治郎が改良した簡易印刷機で、正式名称を「謄写版」という。1980年ごろにコピー機が普及するまで、学校で配るお知らせのプリントやテスト問題は、ワラ半紙にガリで印刷するのが一般的だった。ガリ版印刷では、ろうをぬった原紙に鉄筆(先のとがった鉄の棒)を押しつけながら文字や絵を描くと、そこだけ原紙のろうがけずり取れる。その原紙を謄写版に張り、上からローラーでインクを透過させると印刷することができた。鉄筆で引っかくとき「ガリガリ」と音がするため、「ガリ版」の名がついた。」と説明がある。
②には、「謄写版のことを「ガリ盤」ともいいました。」との記載があり、①と同様の説明のほかに、「謄写版1号機の完成」の説明として、滋賀県出身の堀井新治郎(元紀・仁紀父子)が1894(明治27)年1月に東京で謄写版の1号機を完成させて同年7月に神田鍛冶町に「謄写堂」を設立したこと、さらに大本営・陸海軍に通信用として謄写版がたくさん売れたことについて、記載がある。
また、謄写版の普及については、「1920年代(昭和初期)には、綴り方教育や文集作りなどで大活躍します。第二次世界大戦後も学級通信、家庭との連絡にはなくてはならないものでしたし、戦火ですっかり教材などが失われた沖縄では、教科書が謄写版で作られたりもしました。謄写版は、学生運動や労働運動、ミニコミ通信でも愛用されましたが、1970~80年代になると、コピー機、ワープロにとって変わられ、創業会社ホリイも2002年に倒産してしまいました。今では手書きの良さを味わう愛好者と途上国で使われるだけになりました。」と記載がある。
また、この資料では、ガリ版の道具や堀井元紀・仁紀などの、多数の写真が掲載されている。
③にも、ガリ版の簡単な説明があると同時に、「80~60年前 祖父母が子どものころ インクを改良したガリ版が登場」、「50~30年前 父や母が子どものころ 手軽に出力できる機械が登場」、「現在 手がきでもパソコンからでも印刷できるデジタル印刷機」という項目の中で、日本の印刷機の簡単な歴史も記載されている。
回答館・回答団体
岡山県立図書館
カテゴリ情報
![]() | レファレンスデータベース > レファレンス事例データ > 岡山県立図書館 |
---|