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岡山市東区九蟠の「蟠」の字の由来
質問内容
回答内容
資料①『角川日本地名大辞典 33 岡山県』、
資料②『日本歴史地名大系 第34巻 岡山県の地名』、
資料③『岡山市の地名』、
資料④『岡山市の地名由来』、
資料⑤『九蟠村史』、
資料⑥『三蟠村誌』、
を見ると、江戸時代の沖新田干拓から当初は沖新田九番や沖新田三番となっていたこと、明治6年(1873)に沖新田九番は九蟠村に、明治22年(1889)に江崎・江波・藤崎の3村合併により三蟠村が成立したことは分かるが、「蟠」の字を使った理由などは出ていない。
資料⑦『わたしたちのふるさと九蟠』には、「虫へんの「蟠」を使っている由来は、曹源寺(池田家の菩提寺)の裏山から干拓の状況を見たとき、各工区の作業小屋のカンテラに虫がとまっているように見えたので番に虫をつけたという言い伝えもあります。蟠という字は現在一般には使われていませんが、辞書(広辞苑)には「広大な土地を意味する」とあることから広大な干拓工事の地名に使われたのだろうなどの説もあります。」とある。
また、資料⑧『上道郡沖新田』には、「なお、三蟠(九蟠)の「蟠」は、明治に入って地名表示の上で「番」では支障をきたすことから「わだかまる」の意味を持つこの字が当てられた。三番・九番が幕末以降、港を中心とした対外的な拠点として展開する中で、「バン」の音を残したものだろう。」という説も紹介している。
回答館・回答団体
岡山県立図書館
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